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津山藩を代表する蘭学者「宇田川三代」

津山藩を代表する蘭学者として知られるのが、「宇田川三代」と称される宇田川玄随(げんずい)・玄真(げんしん)・榕菴(ようあん)の3人です。宇田川家は代々漢方医の家系で、津山藩江戸詰の藩医を務めていました。

津山藩の蘭学者①:宇田川玄随(うだがわげんずい)

宇田川玄随もはじめは漢方医として蘭学を嫌っていましたが、『解体新書』の翻訳者の一人・桂川甫周(かつらがわほしゅう)から西洋医学の正確さを教わり、蘭方医に転向。オランダ語と西洋医学を学びます。藩主の参勤交代に付き従って国元に赴いた1792(寛政4)年には、津山初の人体解剖を行っています。その翌年には、オランダ人医師が記した医学書を翻訳した『西説内科撰要(せいせつないかせんよう)』を発行。病気を症状によって分類し、それぞれの定義や原因・治療法を記した全18巻からなる書籍で、日本初の西洋内科の翻訳書といわれています。松平康哉はこの功績を讃え、宇田川玄随に金15両を与えています。

津山藩の蘭学者②:宇田川玄真(うだがわげんしん)

宇田川玄随の後継者となったのが、彼の弟子だった宇田川玄真です。宇田川玄真は特に、翻訳の分野で力を発揮しました。彼が発行した医学書『医範提綱(いはんていこう)』は、解剖学・生理学・病理学が分かりやすくまとめられており、医学を学ぶ者の教則本となりました。この書籍は明治時代になるまで、医学生のバイブルとして使われたといいます。『解体新書』では厚腸(こうちょう)・薄腸(はくちょう)と訳されていた言葉を大腸・小腸と言い換え、リンパ腺の「腺」、膵臓(すいぞう)の「膵」の字を考案したのも宇田川玄真です。

津山藩の蘭学者③:宇田川榕菴(うだがわようあん)

宇田川玄真の研究を引き継いだのが、養子の宇田川榕菴です。近代科学確立に貢献し江戸時代最高の科学者と称された宇田川榕菴榕菴は、これまで医学中心だった蘭学を幅広い分野に広げた立役者です。医学に薬は付き物ですが、薬の大半は植物から作られます。薬となる植物を研究する「本草学(ほんぞうがく)」は成立していたのですが、それ以外の植物はあまり研究されていませんでした。宇田川榕菴は植物の生態や生理などの知識をまとめた、『植学啓原(しょくがくけいげん)』を刊行し、西洋の植物学を紹介。植物から薬を作るには、化学の知識も必要です。化学書を翻訳した『舎密開宗(セイミかいそう)』は、多くの図版や自らの実験結果・考察などを加えた、日本初の本格的な化学書となりました。義務教育で習う酸素・窒素・炭素などの元素名や、酸化・還元・溶解などの化学用語は、宇田川榕菴が考案したものです。

津山藩の蘭学者④:箕作阮甫(みつくりげんぽ)

宇田川家は津山藩江戸詰の藩医でしたが、江戸時代末期になると国元にも洋学を志す者が出てきます。宇田川榕菴と同世代の蘭学者・箕作阮甫は、津山藩国詰の藩医の家に生まれ国元で育ちます。その後25歳で江戸に遊学して、宇田川玄真に蘭学を学びます。箕作阮甫は語学力に長けており、160冊以上の翻訳書を残しました。41歳で幕府の蕃書和解御用(ばんしょわげごよう)(外国文書翻訳の仕事)を任じられました。外交交渉の場でも活躍を見せ、ペリーが持参した大統領親書を和訳。ロシア使節が長崎に来航した際には幕府の使節団に随行し、外交文書の翻訳や交渉に参加しています。蕃書調所(ばんしょしらべしょ)(洋学の研究・教育機関。東京大学の前身)が設けられたときには58歳で日本初の教授の一人に任じられました

津山藩で蘭学が盛んになったのは?

津山藩でなぜここまで洋学が盛んになったのか、明確には分かっていません。ただ、冒頭で紹介した松平康哉以降の歴代藩主が洋学に理解を示したこと、幕府の天文方で蘭書の翻訳を担当する仕事に宇田川家・箕作家の歴代の蘭学者が携わる中で研究実積を積み重ねたこと、また津山が山陰と山陽を結ぶ交通の要衝であり 、江戸や上方の文化・情報が伝播していたことなどから、江戸で活躍する藩お抱えの蘭学者に刺激を受け、蘭学を志す若者が次々と出現したものと思われます。津山市内の民家から、ふすまの下張りとしてオランダ語が書かれた反古紙が見つかることがあります。津山での蘭学の広がりを示す証拠といえるでしょう。

津山洋学資料館では、郷土ゆかりの洋学者の足跡や洋学資料を展示しています。

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Part.1 地図で読み解く岡山の大地

・瀬戸内海はどうやってできた?岡山県の成り立ち
・美作はなぜ西日本有数の温泉地なのか
・岡山県指定天然記念物井倉洞はどうやってできた?
・山から貝の化石がとれる不思議
・その大きさは世界2位! 児島湖はなぜ造られたのか?
・「晴れの国岡山」は「天文王国おかやま」だった!
・笠岡市がカブトガニ有数の生息地になった理由

…などなど岡山のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岡山を走る充実の交通網

・瀬戸大橋が鉄道と併用できた理由
・西日本唯一の臨海鉄道線「水島臨海鉄道」の変遷を知る
・わずか16年で廃線になった、幻の三蟠鉄道
・津山扇形機関車庫から見る、岡山県の鉄道の歴史
・山陽新幹線は岡山発が多い?交通の要所・岡山駅のスゴさ
・日本で最も短い路面電車が地元で愛される理由

…などなど岡山ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 岡山で動いた歴史の瞬間

・伝説の城「鬼ノ城」は古代日本の防衛ラインだった
・巨大古墳群からひもとく吉備国と大和朝廷の関係
・戦国大名・宇喜多直家は、邑久郡の小領主だった
・難攻不落の備中高松城を、血を流さずに攻め落とせ!
・宇喜多秀家が基礎を築き池田家が整備した城下町
・岡山藩藩主の憩いの場として築かれた大庭園・後楽園

…などなど、激動の岡山の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 岡山で生まれた産業や文化

・古墳時代から受け継がれる備前焼
・岡山県の名産品・白桃は、なぜこんなにおいしいのか?
・蒜山原野の開拓とジャージー牛導入の歴史
・養蚕・イグサ・綿・デニム…。岡山が誇る繊維業
・瀬戸内工業地域・水島コンビナートの誕生秘話
・倉敷市が一大観光地に成長した理由
・刀工集団・長船派は、どのようにして生まれたのか

…などなど岡山の発展の歩みをたどる。

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