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能登半島の地形は外浦と内浦で特徴が異なる

能登のなかでもさらに地域は細かく分かれます。最北端の奥能登、能登国府がおかれていた中能登、そして能登の南部にあたる口能登です。半島の最先端である禄剛(ろっこう)崎を境に、西(日本海側)を外浦、東(七尾湾側)を内浦と呼びます。ひと続きの海岸線とはいえ、外浦と内浦とで対照的な表情を見せるのが能登半島周辺の海の特徴です。

能登半島・外浦の地形の特徴

外浦は、海水準変動と地盤隆起の組み合わせにより形成された海岸段丘(階段状の地形)が各所で見られます。日本海に面しているため波浪浸食が著しく、特に冬は季節風の影響で荒波が打ち付けるのです。ゴツゴツとした断崖絶壁や奇岩が多いため、その景観は男性的です。

代表的な断崖は、松本清張の小説を原作とした映画『ゼロの焦点』で脚光を浴びた能登金剛。北朝鮮の金剛山の奇岩が林立する 様子に似ていることから名づけられ、豪快な岩礁美が際立ちます。この一帯は巨岩が海中に突き出ていますが、なかでも「巌門(がんもん)」といわれる場所は特に豪快な景観です。海に突き出た岩盤の中央部分には、幅6m、高さ15m、奥行き60mにわたる巨大な穴がぽっかりとあいています。凝灰岩の岩盤が数千年にわたる波の浸食を受けてできた貫通洞門で、海のすさまじさを物語ります。

ほかにも機具(はたご)岩ゴジラ岩など、特徴的な形の奇岩や断崖がたくさんあります。

輪島から北上した位置にある曽々木海岸付近もかつての難所でした。流紋岩からなる断崖と、海食と隆起によってできた奇岩が続きます。トンネルが整備される前は、人々は断崖を伝って往来し、たびたび命を落とす者が出たことから、ついた地名は親不知(おやしらず) です。

能登半島・内浦の地形の特徴

一方、荒々しい外浦とは対照的に季節を問わず穏やかなのが内浦の特徴です。沈降性の入り組んだリアス式海岸が多いため、入り江が自然の防波堤のようになり、七尾湾にも面していることから海は静かで女性的といわれます。

しかし、入り江が多いぶん、海岸線は複雑です。たとえば九十九(つくも)湾は、東西1km、南北1.5kmの小さな湾ですが、その海岸線は13kmにも及びます。屈折が多く、大小の入り江が99を数えるという由来で名付けられました。小木(おぎ)や宇出津(うしつ)、穴水湾から七尾湾にかけてもリアス式海岸が形成されています。

能登半島内浦の地形の原因は珪藻土

内浦の海岸は地下資源に恵まれており、代表的なものが珪藻土(けいそうど)です。特に珠洲市の埋蔵は日本一といわれるほど豊富。珪藻土は多孔質で軽く、断熱性に優れた性質があります。それを活かして珠洲市では珪藻土の七輪やコンロを生み出し、特産品としています。

しかし、この性質のために海岸においては浸食を受けやすく、内浦の海岸地形が変化に富んでいる原因となっています。

能登半島の地形を測量した伊能忠敬

享和3(1803)年、伊能忠敬は石川県の海岸線の測量をおこないました。測量を効率化するため2班に分かれ、長く複雑な能登の海岸線に挑みましたが、それでも測量を終えるまでに1か月ほどを要したとされます。

能登の前には加賀沿岸の測量をおこなっていましたが、加賀藩の人間は伊能忠敬率いる測量隊に非協力的でした。加賀藩の海岸情報が明らかになることを警戒したといわれ、加賀藩に伝わる古文書には「伊能らは隠密のように思える」という記述が残っていることからも警戒心の強さが読み取れます。

このために加賀で神経をすり減らし、能登で体力を使い果たしたことが直接の原因なのかは定かではありませんが、能登を出て富山湾の測量のため越中に着いた途端、持病が悪化したといわれています。

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・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

・開業後、石川はどう変わったか?北陸新幹線のココがすごい!
・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

・実は3代利常が名君だった!
・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

…etc.

Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

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