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金沢駅の歴史

明治31(1898)年、北陸線小松~金沢間の営業開始にあわせて金沢駅は誕生しました。駅の設置場所に関してはいくつか候補地があり、激しい議論が交わされましたが、結果的には現在地である木ノ新保町が選ばれました。市街地の北西端であるために人家が少なかったこと土地の高低差が少ないことが決め手だったといわれています。

木ノ新保町をはじめ、北安江町、広岡町など8町にわたる土地に、当時としては巨額な5万円余り(現在の約10億円)を投じて建設された木造洋風建築の駅舎が完成しました。

金沢駅誕生の歴史は軍事的理由があった

金沢駅誕生の背景には、軍事上の理由が関係しています。そもそも駅が作られたきっかけは、明治27(1894)年の日清戦争にあります。

当時、金沢の兵隊は重荷を背負って福井県の敦賀まで数日間かけて歩いたといわれていますが、このとき熱射病で数名の兵士が亡くなりました。この兵士らが、日清戦争における石川県最初の戦死者となってしまったのです。このため、兵士は鉄道で移動するべきという声が高まり、北陸線の全線敷設は軍事面でも必要不可欠でした。

金沢駅の歴史が垣間見れるエピソード

駅舎にも、同様に軍事的な役割が備えられました。明治30(1897)年、金沢駅はほぼ完成していたにも関わらず、急遽50間四方(約90㎡)の空き地が設けられることになりました。これは明治37(1904)年に勃発する日露戦争を想定したためで、軍隊の集合場所として広い空き地を駅周辺に整備する必要があったからだといわれています。

これを考えると、かつて町外れだった木ノ新保町が駅建設地として選ばれたことも頷けます。当時、北陸の軍事拠点となっていた金沢の歴史が垣間見えるエピソードです。

戦時の歴史を背負った金沢駅は鉄筋コンクリートに生まれ変わる

昭和20(1945)年の終戦時には、1日平均乗降客は2万8300人を超えました。北陸線の利用客は増加の一途をたどり、駅を含めて輸送力の強化や利便性が望まれていたなか、昭和29(1954)年、明治時代に建てられた木造の駅舎は鉄筋コンクリートに生まれ変わります。食堂、売店、荷物預かり所のほか、地下にはステーションデパートや理髪店も設けられ、賑わいを増していきました。

金沢駅は新しい歴史を刻む

世界で最も美しい駅に選ばれた現在の姿にいたったのは、2005年。全面ガラス張りの近未来的な「もてなしドーム」が誕生し、駅前広場をすっぽりと覆いました。ガラスは積雪180㎝にも耐えられる強度となっており、このドームがあるおかげで雨の日でも濡れずにタクシーやバスに乗降できます。

ドームの正面にそびえる「鼓門」は、能で使用される鼓の胴に掛けられている「調べ緒」がモチーフ。門の柱の内側には、降った雨を再利用するための送水管が造られています。見た目だけでなく、機能美も兼ね備えた2つのシンボルは、金沢駅前の風景には欠かせないものとなりました。

金沢駅は新しい歴史を刻む

金沢駅のシンボル、鼓門。その奥にあるのがガラス張りのもてなしドームです。

金沢駅構内は見どころ満載

駅構内も伝統工芸で彩られ、さながら美術館です。

コンコースには、鼓門をイメージした能登ヒバ製の門型柱を12対24本設置。内側には石川県を代表する作家による伝統工芸品プレートがあしらわれています。

中2階・ホーム階待合室では、30品目236点の伝統工芸品が壁面を埋め尽くします。加賀藩5代前田綱紀(つなのり)が伝統工芸の実物見本や技法をまとめた「百工比照(ひゃっこうひしょう)」という資料にちなみ、この待合室は「百工の間」と名付けられました。

最も金沢らしい贅沢な造りとなっているのは、11cm角の金箔を2万枚以上使用した新幹線ホームの柱です。その数は全部で60本。繊細なシワ感が生み出す温かみのある輝きや、整った升目のラインに目を奪われます。

金沢を訪れる人をもてなそうという心が駅の随所にちりばめられています。

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・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
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Part.3 石川の歴史を深読み!

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・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
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Part.4 石川で育まれた文化や産業

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・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
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・偉人を輩出した第四高等学校
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