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妙立寺の歴史

妙立寺の始まりは、前田利家が金沢城内に設立した祈願所を、その後3代前田利常が金沢城近くに移築建立したことでした。

当時、加賀藩と幕府の関係は悪かったため、幕府の征伐に備えて出城の役割をもたせた寺院群が寺町台につくられました。金沢城が直接攻撃されるより先に、寺町台で迎え撃つとの計画があったようです。妙立寺はその寺院群の監視所として、万治2(1659)年に現在地へ移築されました。

妙立寺内部の仕掛け

その後も妙立寺は祈願所としての役割を保ち、歴代の藩主たちは藩の命運や庶民の平和を祈り、妙立寺を崇めたといいます。藩主が庶民に気づかれないよう、お忍びで詣でるための隠し拝殿が、本堂内に中2階のような形で設けられています

創建当時、幕府によって3階建て以上の建築が禁止されており、妙立寺は正面から見ると2階建てに見えます。しかし、中2階や中々2階が存在するため、実際の内部は4階7層建てというから驚きです。

この寺自体も出城としての役割を備えていたため、建物内には落とし穴や隠し階段などの仕掛けが満載で、建物全体が迷路状という複雑な構造を有しています。部屋数は23室、階段は29カ所にも及び、階段は堂内の動線を複雑化させる役目がありました。

床板を外せば落とし穴になる階段、引き戸を錠のように利用した床下階段、押し入れ内の壁裏にある隠し階段など、出城にふさわしい実用性があらゆる階段にちりばめられています。蹴込み部分に障子が張られている階段は、外部から忍び寄る敵の足の影を見て、内部から槍で突き刺すためのものだったようです。

妙立寺が忍者寺と呼ばれるわけ

階段以外の仕掛けも見事です。本堂正面の床には畳2畳分ほどの賽銭箱が埋め込まれていますが、実は深さが3mもあり、落とし穴になるというものです。落とし穴階段から続く小さな部屋は、階段から転げ落ちた敵を待ち伏せして攻撃できるだけでなく、自分が身を隠すこともできました。

また、外から通じる階段の引き戸の脇には別棟へつながる隠し通路がありますが、敵が戸を開くと通路が自動的に隠れるため、気付かれないようになっていました。これだけのカラクリがあるのだから、忍者寺と思われるのも無理はありません。

妙立寺のまだ解明されていない謎

本堂の屋根突端部には、ガラス張りの望楼が設けられました。見張り台の役割を兼ねており、金沢城だけでなく、加賀平野までを遠望できるほど見晴らしが良いです。金沢城と光による通信も可能だったというのも頷けます。

望楼へは、庫裏の3階にある茶室“霞の間”から階段通路を経て行くことができます。本堂と庫裏が一体となった前衛的な数寄屋建築としての評価も高いです。

建物の中央にある井戸は横穴があり、実際どこまで伸びているのか確認はされていませんが、金沢城まで伸びていたのではないかという言い伝えがあります。井戸には継ぎ目や切れ目がないため、大きな岩をくり抜いて井戸にしたと考えられています。

このようにまだ解明されていない部分もありますが、この謎が多くの観光客の好奇心を駆り立てるのでしょう。

妙立寺

住所
石川県金沢市野町1丁目2-12
交通
JR金沢駅から北陸鉄道広小路方面行きバスで20分、広小路下車、徒歩3分
料金
大人1000円、小人700円、幼児不可(障がい者手帳持参で本人のみ割引あり)

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