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薩摩藩の参勤交代は1180人を従えて江戸へ

徳川幕府は各地の大名に恭順の意を示させるために、参勤交代を命じました。参勤交代は、各藩の大名を江戸に出仕させることを目的としており、大名は江戸に1年、国元に1年住むことを繰り返すことになります。また、大名の正室と嫡男は江戸に常住しなければならず、実質的な人質でした。

島津氏の場合は1607(慶長12)年に初めて参勤交代を行いました。このときは1180人あまりの藩士を従えて江戸にのぼり、2代将軍・秀忠から芝(東京都港区芝)に宅地を与えられています

この宅地は薩摩藩の上屋敷として幕末まで使用され、現在はNEC本社ビルになっていますが、その敷地内には「薩摩屋敷跡」の碑文が建立されています。

薩摩藩の参勤交代コース

薩摩藩の参勤交代コース
『鹿児島県の歴史』(山川出版社、2011年)を元に作成

江戸時代前期には一部海路を用いて江戸に参勤していましたが、中期以降になると全行程陸路が主流となりました。参勤交代制度により江戸と地方を結ぶ街道が整備されていきましたが、島津氏の領国は江戸からもっとも遠方にあり、領内を通る大名もいなかったため、ほかよりも整備が遅れていました。

薩摩藩は参勤交代によって財政が圧迫

1635(寛永12)年に武家諸法度が改正された際には参勤交代は正式に制度として確立しました。当初は薩摩藩のような外様大名に限られていましたが、のちには水戸藩のような江戸定府(じょうふ)の藩を除き、全大名が軍役奉仕として参勤交代を義務づけられます。

国元から江戸にのぼる際には大名行列が行われ、行列に加わる人数は藩の石高に応じて決められ、諸大名は出費を強いられました。

薩摩藩の石高は琉球を含めて72万石と、金沢藩に次ぐ大大名でしたが、玄米にする前の状態で計算(籾高(もみだか))していたので、実高(じつだか)はせいぜい50万石相当であったとされます。それでも参勤交代の軍役は表高(おもてだか)から起算されるので、72万石相当の義務が課せられ、薩摩の藩財政を圧迫する要因となっていきます。

薩摩藩は参勤交代でもっとも距離のあるルート

また、薩摩藩の場合、江戸までの距離は440里(約1700km)と全藩のなかでもっとも遠方に位置していました。江戸時代には五街道に代表されるように交通網が整備されたとはいえ、薩摩から江戸までの所要日数は40日から60日前後かかったとされます。

薩摩から江戸までの経路ですが、江戸時代前期には海路を用いていました。薩摩半島の西岸(川内(せんだい)、阿久根(あくね)、出水(いずみ))か日向国細島(宮崎県日向市)から大坂まで海路を用い、大坂で上陸して以降は中山道や東海道を利用するルートです。

これが江戸中期以降になると海路はあまり用いなくなり、九州路(薩摩から熊本を経て小倉(こくら)に至る)から山陽道へと入るルートが利用されました。

徳川将軍家に嫁入りした篤姫

島津氏の分家に生まれた篤姫は島津宗家の当主・島津斉彬(なりあきら)の養女となり、13代将軍・徳川家定に嫁ぐために江戸へと向かいました。篤姫は薩摩から熊本を経由して陸路を用い、江戸の薩摩藩邸に入ります。

この頃、三田の上屋敷は安政大地震(1855年)で罹災していたので、篤姫は渋谷(東京都渋谷区東)の下屋敷(現在の常陸宮邸)に入ることになりました。篤姫は右大臣・近衛忠煕(このえただひろ)の養女として徳川家定の正室になります

輿入れの際、行列の先頭が江戸城に入る頃には、最後尾はまだ渋谷の下屋敷であったと伝えられています。徳川家定の死後、篤姫は出家して天璋院(てんしょういん)となり、大奥から江戸の無血開城に尽力しました。

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