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島根の神楽、佐陀神能は七座神事から始まる3部構成

七座神事は剣舞(けんまい)、散供(さんぐ)、御座清目(きよめ)、勧請(かんじょう)、八乙女手草(たくさ)の7番からなる舞で、それぞれの舞には場や物を清める、神降ろし、神遊びといった目的があります。舞によって剣、鈴、小幣、榊、大幣などの採物(神事で使われる道具)を持つます。神楽は面をつけるものが多いのですが、七座神事では「直面(ひためん)」といって、面を着用しません

佐陀神能「式三番」とは?

続く式三番は祝いの舞で、南北朝期の翁猿楽(おきなさるがく)を起源とするようです。「翁(シテ)」、「千歳(せんざい)(ワキ)」、「三番叟(さんばそう)(狂言)」の3人の舞手が順に舞います。

佐陀神能「神能」とは?

神能は大社(おおやしろ)、真切孁(まきりめ)、厳島、恵比寿、日本武(やまとだけ)、八幡(やわた)、磐戸(いわと)、三韓(さんかん)、八重垣、荒神(こうじん)、住吉、武甕槌(たけみかづち)の12番からなります。こちらは着面の舞で、舞に合わせてうたう謡(うたい)は能と同じ構成をもっています。

佐陀神能は能、狂言から着想を得た

式三番、神能に関しては、1608年に佐太神社の神職であった宮川秀行が、当時京都で流行っていた能、狂言を学んで帰り、それらに倣って作ったものとする説があります。式三番のシテ、ワキ、三番叟や、演目、囃子方、謡に能や狂言の特徴が見られるのはそのためでしょう。

佐陀神能は他の神楽に影響を与える

七座神事、式三番、神能の3部構成で行なわれる佐陀神能の形式は出雲神楽にも見られる特色で、佐陀神能から影響を受けていることがわかります。やがて佐陀神能は出雲のみならず、中国地方、全国にまで広まりました。石見神楽、隠岐神楽もいわゆる「出雲流神楽」の流れにあります。

現在、佐陀神能は県の無形民俗文化財、国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。

佐太神社

住所
島根県松江市鹿島町佐陀宮内72
交通
JR松江駅から一畑バス恵曇行きで28分、佐太神社前下車すぐ
料金
情報なし

島根の神楽:石見神楽

出雲神楽が佐太神社の神事をルーツとし、伝統的な神事として伝えられてきた一方で、同じ出雲流神楽の流れにありながらも石見神楽は「見せる」ことで発展してきました。

石見神楽は室町時代後期には神職によって舞われていたといいます。石見地方には祖霊神、土地の神としての大元信仰があり、大元神の式年祭に行なわれる「大元神楽」という田楽系の民族芸能がありました。そこに出雲神楽が波及し、石見神楽として継承されてきました。

江戸時代は神官が石見神楽の担い手でしたが、明治時代に政府が発令した「神職演舞禁止令」により、神楽は氏子が担うようになっていったといいます。これは、島根の地域の多くの人々に神楽が継承される要因のひとつとなりました。

石見神楽は神事からエンターテインメントへ

氏子が担うようになると、八調子や六調子の囃子はより早く、スサノオのヤマタノオロチ退治を題材とする有名な演目「大蛇」では大蛇の数を増やし、歌舞伎の要素を取り入れて衣装は華やかなものへ、そしてどんどんダイナミックになる舞に合わせて面は木彫りから紙張子面に、さらには演出にドライアイスや花火を用いるまでに変化していきました。

石見神楽が変化したひとつのきっかけとして、1970年の大阪万国博覧会が挙げられます。この万博で複数の石見神楽の団体が神楽の舞を披露し、日本だけでなく海外の人々にも絶賛されました。以後、石見神楽の団体が招かれて公演する機会が増え、それとともに神楽の保持団体も増えていったのです。

伝統芸能としての神楽の発展

石見神楽は伝統的な例祭への奉納だけでなく、各種イベントにも欠かせない郷土芸能で、定期上演、競演大会なども開催されています。

国道9号沿いに、石見神楽の定期公演が行なわれる施設があります。神楽の団体は石見地方だけでおよそ130もあり、季節を問わずさまざまな場所で公演が行なわれています。

島根の隠岐神楽は他神楽とは違う歩みを見せる

隠岐神楽は、祈祷に関連する神楽です。出雲神楽、石見神楽とことなり、神社ではなく祈祷と神楽を行なう複数の家が継承してきたといいます。明治時代に祈祷が禁止されるとこの仕組みは失われますが、島後の「久見(くみ)神楽」や「原田神楽」などが県の無形民俗文化財として継承されています。

島根の伝統芸能「安来節」はどのようにして広まったのか

郷土の伝統芸能としては、島根県安来(やすぎ)地方の民謡「安来節」もあります。その起源は諸説ありますが、一説によれば、江戸後期の天保年間のころ、北前船で日本海を行き来した船頭たちが酒席で歌った「出雲節」や、さん子という境港の芸妓が創作したという「さんこ節」といった酒盛唄が原型とされています。

安来節の成り立ち

「さんこ節」が長編化して「出雲節」になり、さらに改良されたのが「安来節」です。幕末から明治にかけて、鍼医の大塚順仙が節回しを整理し、中市場の今市屋伝来が伴奏を整えるなどさらに改良を進めていたところに、安来で料理屋を営んでいた渡辺佐兵衛と四女のお糸が登場します。佐兵衛が歌に手を加えると、美声のお糸が歌いました。

このお糸が1916年に三味線の名人の富田徳之助(とみたとくのすけ)と組んで全国巡業を行なうと、各地で好評を得て「安来節」の名は広まりました。一座は当時の芸能人があこがれた東京鈴本亭の舞台に立つと、さらには東京と大阪に安来節の上演専門館を設けました。

お糸一座はその後朝鮮半島、台湾、中国東北部まで遠征し、東アジア地域にも安来節を広めました。

鷺ノ湯温泉にある安来節演芸館では、安来節を毎日公演しています。
国土地理院標準地図を元に作成

安来節演芸館

住所
島根県安来市古川町534
交通
JR山陰本線安来駅からイエローバス広瀬行きで17分、安来節演芸館下車すぐ
料金
入館料=無料/安来節観賞券=大人600円、小・中学生300円/(8名以上の団体は安来節観賞券大人500円、小・中学生250円、障がい者手帳持参で本人と同伴者1名5割引)

どじょう?土壌(どじょう)?どじょうすくいのモチーフは?

安来節と切っても切り離せないのが、今や宴会芸として誰もが知る「どじょうすくい踊り」です。「安来節」にあわせて踊られるこの踊りには、手ぬぐいに頬かむり、たすき掛け、ざるを持ってどじょうをすくう振り付けがあります。江戸時代末期、どじょうを酒の肴に、酔ったのんべえが即興で踊ったのが始まりとか、はたまた山陰地方で盛んだった砂鉄採取の「土壌すくい」からきたものだという説があります。

歌舞伎の原型をつくった出雲阿国

歌舞伎の舞台は女人禁制ですが、その創始者は女性でした。安土桃山時代の女性芸能者・出雲阿国(いずものおくに)です。史料上に阿国らしき人物が登場するのは1600年のこと。公家の日記『時慶卿記(ときよしきょうき)』に、京都で「国」と「菊」というふたりが女御近衛(にょうごこのえ)氏のために「ややこ踊」を演じたとあります。これは1603年には北野神社で「歌舞伎踊」と呼ばれ、阿国が始めたといわれています。

阿国の事績に関しては信憑性に乏しい資料ばかりで、ほとんど伝説化されています。出自には諸説あり、『出雲阿国伝』では、出雲国杵築の鍛冶職小村(中村)三右衛門の娘とされていますが、一般的には、出雲大社の巫女出身として知られています。

なぜ女人禁制なのか

歌舞伎踊は、奇抜な恰好で常識を外れた行動をする「傾奇者(かぶきもの)」の扮装をし、男装で流行歌謡にあわせて踊るものでした。これが評判になると遊女や女芸人がまねた「女歌舞伎」が生まれ人気を博しますが、1629年に幕府が女歌舞伎禁止令を出すと次第に歌舞伎の担い手は男性となり、これが現在も継承されています。

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Part.1 地図で読み解く島根の大地

・「弁当忘れても傘忘れるな」な島根の天気
・山陰地方と呼ばれるのは島根県と鳥取だけ?
・水質の良い一級河川「高津川」と大井谷の棚田
・隠岐諸島の「レッドクリフ」をはじめとする島々
・三県境と全国5番目に広い湖「中海」と7番目の「宍道湖」
・全盛期は東アジア最大、世界で2位の産銀量「石見銀山」は港まで続いていた?
・東京ドームほどの海浜公園「石見畳ヶ浦」

ほか

Part.2 島根を駆ける充実の交通網

・「銀の道」さらに「うなぎ街道」「鯖街道」とは?
・朝廷への情報伝達に使われた「官道」とは?
・土木学会が指定した土木遺産「福浦トンネル」
・一畑電鉄と一畑駅、大社線と大社駅
・Mランドドライビングスクールとは?
・JR木次線の「三段式スイッチバック」とは?
・島根の旧三江線トロッコ、初めて県境越え広島へ
・奥出雲おろちループ
・古代山陰道
・「ベタ踏み坂」江島大橋
・未成線広浜鉄道
・神にまつわる名前のついた10の駅
・最後の寝台列車サンライズ出雲

ほか

Part.3 島根の歴史を深読み!

・『日本書紀』『古事記』から神々を知ろう
・古墳も多い島根県
・『出雲国風土記』の世界「黄泉の穴」
・出雲大社を筆頭とする様々な「神社」
・「出雲」「石見」「隠岐」から「島根に」
・山陰のモンサンミッシェル?こと宮ケ島 衣毘須神社
・出雲の方言 東北の訛りとの共通点
・なぜ津和野町に「森鴎外記念館」が?「小京都」と呼ばれるわけ
・歴史的大打撃「廃仏毀釈」で失われたモノ
・島流しといえば「隠岐」?
・江戸時代の島根県、松江藩による出雲平野の開拓

ほか

Part.4 島根で育まれた産業や文化

・「相撲」発祥の地と言われる出雲
・名湯の多い島根県
・継承される多くの神楽と安来節
・歌舞伎の原型になったとされる「阿国歌舞伎」
・「玉鋼」と「たたら製鉄」と黒曜石
・日本で唯一「黄長石霞石玄武岩」を産出
・小泉八雲の作品と小泉邸

ほか

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