フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 山形県 >

杜氏集団:越後杜氏(新潟県)

日本一の米どころ新潟は、日本第3位の日本酒製造量を誇る清酒大国でもあります。酒蔵は88もあり、その数は日本一です。酒づくりにふさわしい米と、越後の山々を流れる良質な水のハーモニーが生み出す越後の清酒のおいしさは、誰もが納得するところでしょう。そうした酒づくりを統括しているのが越後杜氏(とうじ)です。

越後杜氏は研究熱心で勤勉

江戸時代、年貢として納められる米は重要な財源でした。そのため、幕府は米を使う日本酒づくりをきつく制限しました。酒は、決められた期間に、決められた量しかつくることができなかったのです。そうしたなか、雪深い東北や北陸などでは、農家の男たちが冬の閑農期に酒づくり職人として働くようになります。彼らは次第に酒づくりの技を身につけ、やがて他藩まで酒づくりの出稼ぎに出るようになりました。彼らこそ、杜氏の始まりといわれます。彼らの酒づくりは各地で評判を生み、今では新潟の越後杜氏は、岩手の南部杜氏、兵庫の丹波杜氏と並び日本三大杜氏と呼ばれています。

越後杜氏は、とにかく研究熱心で勤勉といわれてきました。各地で酒づくりに勤しんで集団を形成していった越後杜氏は、酒づくりの勉強会も開いていたというほど勉強熱心で、切磋琢磨していたといいます。1930(昭和5)年に国内唯一の研究施設「新潟県醸造試験場」が設立されたのも、越後杜氏気質の表れでしょう。

杜氏集団:南部杜氏(岩手県)

そもそも、岩手という土地は決して自然環境に恵まれた場所ではありませんでした。岩手県央地域は雪が少なく水田も多かったとはいえ、数年ごとに飢饉に襲われるような土地だったのです。

そんな岩手で酒づくりが発展したのは、盛岡を居城にした南部氏が経済発展を推し進めたことによるといわれます。記録によれば、1683(天和3)年、盛岡領内の人口は約30万6千人ほど。城下の人口は3万5千人で、その半数が町人でした。そして、町人たちの商業活動の中心となったのが近江商人たちだったといいます。

南部杜氏の始まりは上方から

そうした近江商人のなかに村井権兵衛(ごんべえ)という人物がいました。近江から盛岡に移り住んだ村井権兵衛は、盛岡の地で上方(かみがた)の「池田流」の酒づくりで成功。1678(延宝6)年、「近江屋」を創業し、酒を売り出しました

当初は近江、大坂といった上方から杜氏を呼んで酒をつくっていましたが、酒づくりを手伝っていた農民は上方杜氏の技能を覚え、いつしか閑農期に他藩へ酒づくりの出稼ぎに出る者も現われました。彼らこそ南部杜氏の源流といわれています。

地元岩手の酒づくりの現場においても、村井権兵衛が「近江屋」を興してから数十年後には、上方の杜氏から南部杜氏に入れ替わります。つまり、酒づくりを副業にしていた農民たちが、酒造一本の専門職人集団に成長したのです。

杜氏集団:能登杜氏(石川県)

能登杜氏は、奥能登を発祥とします。能登の人々は農業の閑散期、江戸時代後期より近畿地方へ酒造りのため出稼ぎに行き、能登衆と呼ばれるようになります。能登衆は、他地域からの杜氏集団とは異なる独自の酒造技術を身につけていたため、一目置かれました。

明治時代には、大津に「能登屋」という職業斡旋所が設立され、杜氏や蔵人を主に近江や山城の酒蔵へ斡旋。最盛期となる昭和初期、能登杜氏の赴任先は北海道、朝鮮、樺太、満州、シンガポールの酒蔵にまで及ぶほどでした。

明治34(1901)年、石川県で初めて酒造講習会が開催されたことで、能登杜氏の酒造技術はさらに飛躍。全国の品評会でもその優秀さを発揮し、能登杜氏は名声を高めました。

能登流の酒の特徴は、濃くて米の味がすること。1日の厳しい労働を終えた晩酌で飲むことが多かったため、濃い味が求められるようになったといわれます。

能登杜氏四天王・農口尚彦氏の功績

全国的にも認められた能登杜氏は多くの名手を送り出してきましたが、特に優れた技術をもつ人々は能登杜氏四天王と称されます。

なかでも、日本酒の世界で知らない者はいないといわれるのが農口尚彦氏です。現在の能登町出身で、父も祖父も杜氏という家で育ち、16歳で静岡県や三重県の酒造へ見習い入り。28歳のときに白山市で杜氏となりましたが、そこで濃い酒が好まれていることを知り、強い酵母菌で発酵をおこなう山廃仕込みを丹波杜氏から学びました。

「全国新酒鑑評会」で数々の受賞歴を誇るだけでなく、2006年には厚生労働省認定「現代の名工」に輝き、2008年には黄綬褒章も受章。酒造が鑑評会のためだけに造っていた吟醸酒を市場に送り出し、吟醸酒ブームを生み出した華々しい功績をもちます。

杜氏集団:大山杜氏(山形県)

戦国時代に始まったとされる山形の酒造り。江戸~明治時代に大きく発展し、令和となった現在、山形県は国内有数の酒どころとなっています。

なかでも大山地区では、江戸時代初期から本格的な酒造りが行われ、「大山杜氏(おおやまとうじ)」と呼ばれるすぐれた杜氏集団が生まれました。大山杜氏は宮城や秋田、福島にも赴いて日本酒造りの技能を伝えたといいます。日本の有名な杜氏集団には岩手の南部(なんぶ )杜氏、秋田の山内(さんない)杜氏がありますが、それらが生まれた素地に大山杜氏の存在があったのです。

もともと大山にはさまざまな分野の職人が多く、職人同士で情報や技術を共有する気風がありました。それがすぐれた杜氏集団の誕生に寄与したことは疑いありません。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 山形県 >

この記事に関連するタグ