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紫式部の死因は不明でも墓は残されている

紫式部の墓は京都の紫野(むらさきの)と呼ばれる地に残されています。紫野は、晩年の紫式部が暮らしたとされる場所で、雲林院の近くに墓所があると伝わっています。
宮仕えをいつまで続けたのか、どこで没したのかなど不明な点が多く、諸説ある没年とともに未だ分かっていません。

地獄に落とされた?紫式部

平安末期の説話集『宝物集』には、「男女の色恋話の作り話を書いた紫式部は噓つきとして地獄に落とされている」という話が載っています。この時代には美女や才女などが落ちぶれた伝説が流行し、小野小町や清少納言にも零落伝説が生まれています。

400年続いた平安時代。紫式部が生きた時代は後期なので、平安末期というと没後150年以上の時間が経っています。地震や飢饉が続いた平安末期の時代ということもあり、大きく世の中が変わっていったことがうかがえます。

紫式部の死後、残されたの娘「賢子」

紫式部が藤原宣孝(のぶたか)との間にもうけた娘の賢子(けんし)は、皇太后となった彰子のもとに仕えています。母とは異なり賢子は恋にも積極的で、藤原道長の息子・頼宗(よりむね)や藤原公任(きんとう)の息子・定頼(さだより)と恋仲になり、藤原兼隆(かねたか)との間に娘を出産しています。

大宰(だざい)大弐の高階成章(なりあき)と再婚し、大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれたました。のちの後冷泉(ごれいぜい)天皇が生まれたときには、その乳母となり、即位に際して典侍(ないしのすけ)に任じられています。

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世界最古の長編小説ともいわれる『源氏物語』は、平安時代の宮廷を舞台に展開される主人公・光源氏と女性たちの恋愛模様を描いた物語で、今もなお多くの人に愛読される日本文学の古典です。ですが、全54帖という長編ゆえに最後まで読み通すのは大変困難な作品であることでも知られています。
本書はこの大長編小説『源氏物語』のあらすじと、作者・紫式部の人と生涯を図版と地図を豊富に用いながらわかりやすく解説した『源氏物語』の入門書です。

【第1部】紫式部とその時代
〔第1章〕平安時代の後宮生活
〔第2章〕紫式部の生涯

【第2部】 押さえておきたい『源氏物語』
〔第3章〕光源氏の青年時代―恋の旅路を歩む貴公子
〔第4章〕栄華の頂点―位人臣(くらいじんしん)を極めた光源氏
〔第5章〕宇治十帖―光源氏亡き後の世界

【監修者】竹内正彦

1963年長野県生まれ。國學院大學大学院博士課程後期単位取得退学。博士(文学)。
群馬県立女子大学文学部講師・准教授、フェリス女学院大学文学部教授等を経て、現在、國學院大學文学部日本文学科教授。専攻は『源氏物語』を中心とした平安朝文学。著書に『源氏物語の顕現』(武蔵野書院)、『源氏物語発生史論―明石一族物語の地平―』(新典社)、『2時間でおさらいできる源氏物語(だいわ文庫)』(大和書房)、『図説 あらすじと地図で面白いほどわかる!源氏物語(青春新書インテリジェンス)』(青春出版社、監修)、『源氏物語事典』(大和書房、共編著)ほか。

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