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渋沢栄一が徳川慶喜の家臣になる

武蔵国の豪農に生まれ育った渋沢栄一は、20代半ばに尊王攘夷(そんのうじょうい)思想の洗礼を浴び倒幕計画を企てますが、未遂に終わり京都に出ます。

ところが、京都では一変して、徳川御三卿(きょう)の一橋家に仕え、一橋慶喜(後の徳川慶喜)の家臣となりました。徳川慶喜が15代将軍の座に就くと、幕臣となった渋沢栄一は将軍の代理としてパリで行われる万国博覧会(1867年)に出席するためにフランスへ渡航。

しかし、翌年には江戸幕府が消滅し、渋沢栄一はその事実をパリで知ることになります。徳川慶喜が将軍になってから幕府消滅までわずか1年ほど。動乱の時代を経て、二人の舞台は静岡へと移ります。

徳川慶喜の静岡での隠遁生活

明治新政府に敗れ朝敵となった徳川慶喜は、駿府藩(明治元年から静岡藩)での謹慎生活を余儀なくされ、徳川家菩提寺の宝台院 (静岡市)に身を寄せます。

その後、紺屋町(こうやまち)元代官屋敷(現在の浮月楼(ふげつろう)/静岡市)と西草深の邸宅(旧エンバーソン邸/静岡市)に住処を移し、晩年、東京・巣鴨に戻るまでの29年間、徳川慶喜は静岡で隠遁(いんとん)生活を送りました。

渋沢栄一が静岡藩士になることを決意

1868(明治元)年の冬、フランスから帰路についた渋沢栄一は静岡に向かい、宝台院で徳川慶喜に謁見を果たします。そこで静岡藩勘定組頭に任命された渋沢栄一は、静岡藩士として残りの生涯を旧主のもとで送る決意をしました。

渋沢栄一の活躍で静岡藩に大きな利益

渋沢栄一はフランスで学んだ株式会社制度を実践し、新政府からの借金を返済するために、1869(明治2)年、商法会所(跡地は現在の教覚寺/静岡市)を設立。日本初の株式会社となる同組織は、年貢米を売却するほか、穀物などの日用品を大量に購入して静岡藩内で販売しました。

一方、主要産物である茶や漆器などは藩外に販売して利益を上げました。当時の静岡藩は大減封により財政難でしたが、渋沢栄一は手広く商業・金融活動を行うことで莫大な利益をもたらしました。

これに目を付け、渋沢栄一を中央に引き抜こうとしたのが新政府大蔵省の大隈重信(おおくましげのぶ)です。

渋沢栄一は徳川慶喜の名誉回復に尽力

発足間もない新政府は人材難に苦しんでいました。当時の静岡藩には旧幕臣の優秀な人材が豊富で、その多くが中央に引き抜かれたといいます。

幕臣としての誇りや徳川慶喜への忠誠心から、一度はこの誘いを断ろうとした渋沢栄一ですが、最終的には大隈重信からの猛烈なラブコールを受け大蔵省への入省を決めます。実はこの選択は、徳川慶喜を反政府主義者と思わせないための配慮とも言われています。

後に実業家として大成した渋沢栄一は、23年をかけて『徳川慶喜公伝』を編纂するなど、生涯にわたって慶喜の名誉回復に尽くしています。

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Part.1 地図で読み解く静岡の大地

・富士山が標高日本一、駿河湾が深海日本一になった理由
・南から来た、火山の贈り物、伊豆半島ジオパーク
・交通の難所「大崩海岸」は海底噴火によって作られた!
・「日本三大人工美林」数えられる天竜の杉林は川の氾濫に関係があった?
・磐田市にトンボの楽園があった!
・湖?川?海?浜名湖の正体を探れ!
・世界遺産「三保松原」は江戸時代に「島」から「半島」になった!

などなど静岡のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 静岡を駆け抜ける鉄道網

・静岡県の鉄道の歴史は沼津市内の貨物線から始まった
・かつては「東海道本線」だった由緒正しき(?)御殿場線
・JRと私鉄が一体となって形成する伊豆半島東海岸の鉄道ルート
・意外なエピソードを秘めた東海道本線・静岡鉄道の並行区間
・「政令指定都市・静岡」の市内も走る山岳鉄道、大井川鐵道井川線
・軍事上の要請が背景にある天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)のルート

などなど静岡ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 静岡で動いた歴史の瞬間

・静岡最古の古代人は愛鷹山付近にいた!
・日本考古学の聖地・登呂遺跡
・日本書紀に見る静岡とヤマトタケルの伝説
・源頼朝も流された流刑地伊豆
・下田が開港の舞台になったのはなぜか
・江戸城よりも大きかった駿府城天守台
・日本にたった一つしかない形の城・田中城
・家康の遺体は日光ではなく久能山にある?
・徳川慶喜と渋沢栄一の意外なつながり

などなど、激動の静岡の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 静岡で育まれた産業や文化

・模型の首都!静岡が生まれたワケ
・バイクに楽器。浜松のものづくりは綿花の栽培から
・ボールは友達!サッカー王国しずおか
・富士山麓の湧水が育てた製紙業
・月ではなく富士山に帰ってしまう「かぐや姫」
・仏教界のスーパースター空海が静岡に残した伝説

…などなど静岡の発展の歩みをたどる。

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