東山道から下野国の律令期を概観~遺跡をたどれば古代の道が見えてきた!~
飛鳥時代から奈良時代になると、大宝律令の確立で平城京のある都と東北を結ぶ官道・東山道が整備されました。下野を通るこの道は、文化と経済の大動脈でした。...
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飛鳥時代から奈良時代になると、大宝律令の確立で平城京のある都と東北を結ぶ官道・東山道が整備されました。下野を通るこの道は、文化と経済の大動脈でした。...
各地を旅し、数々の俳句を詠んだ俳聖・松尾芭蕉(ばしょう)。代表作のひとつである『おくのほそ道』は、江戸から下野国を通って東北・北陸をめぐった紀行文。栃木で過ごした22日間の足跡を地図でたどってみましょ...
明治から昭和にかけて、栃木県内には数多くの民営鉄道が開業しました。しかし、時代とともにその多くは廃線となり、今は鉄道史の記録のなかで静かに眠っています。...
石川県内の古墳数は北陸最多。 古墳の形や副葬品から、埋葬された人物を想像するのが古墳巡りの醍醐味です。 一方、真脇遺跡では縄文時代の食文化を学べます。...
12万を超える幕府軍を相手に、88日間におよぶ籠城戦が繰り広げられた島原・天草一揆。 舞台となった原城跡の発掘調査で、当時の城の様子や籠城生活の一端が見えてきました。...
鷹島は鎌倉時代に2度にわたった元寇(げんこう)(蒙古襲来(もうこしゅうらい))の激戦地のひとつ。 神風によって沈んだ元の軍船が残る「鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡」の調査で、戦いの詳細がわかってき...
アジア最古の船着場跡が発見された壱岐の原(はる)の辻遺跡。 出土する遺物は、大陸から人や物、情報が集まる国際色豊かな島だったことを今に伝えます。...
日本100名城の一つに数えられている、鬼ノ城(きのじょう)。桃太郎伝説ゆかりの地ともいわれていますが、いったいいつ、誰が、何のために、ここに城を築いたのでしょう...
岡山県内には約1万4000基の古墳があり、そのうち13基が全長100mを超える巨大な前方後円墳です。なぜこんなにたくさんの古墳が造られたのでしょうか...
善光寺平南部の千曲川両岸には大型の前方後円墳が築造されました。長野県最大の森将軍塚古墳とは、どのような前方後円墳なのでしょうか。...
今や「農業大国」「健康長寿」のイメージが根付いた長野県。この地は、今日に至るまでどのような歴史を刻んできたのでしょうか。旧石器時代から長野県の歴史を振り返ってみましょう。...
中世から戦国時代にかけて数多くつくられた日本のお城。ピーク時には数万の城があったといいます。 日本のお城は、単に居住するだけでなく、戦時の防護という役割が強く、そのため城と運命をともにした武将も城の...
1960〜70年代、市電に代わる新たな中心部の交通網として誕生した京都市営地下鉄。 しかし、拡張工事には京都ならではの困難が待っていました。...
794年に平安京が造営されて以来、皇居が移されるまで京都は天皇のお膝元であり続けました。 じつは平安京の前にも、2度の仮遷都が行われていたのです。...
高い技術で古代京都の農地開発に貢献した豪族・秦氏。 絹生産や大々的な治水事業で隆盛を誇った一族の足跡は、今もそこかしこで見ることができます。...
平城京の条坊制の区画が残る奈良町。 そのなかの元興寺の衰退とともに境内に人が住み始め、周囲は商いの町へ。 曲がった道は寺の遺構を避けて通したことによります。...
中大兄皇子は、大化の改新により中央集権国家の体制を次々と整備。 水時計(漏刻)を取り入れ、人々のあいまいな時間意識を一変させました。...
「赤い鳥を見ると幸せになれる」という村の言い伝えに、「呼ばれないと行けない」とされた神社。 その2つの接点にあったのが、あの『火の鳥』でした。...
二上山は火山活動とその後の地殻変動でできた山で、古代から多くの火成岩が採掘され、ものづくりに利用されてきました。 サヌカイトはその原初ともいえます。...