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平時忠は平家が滅びた壇ノ浦の戦い後に助命

栄華が暗転したのは、寿永2(1183)年、平氏の追討軍が木曾義仲に撃破されてからです。西国へ逃れた平家は文治元(1185)年、存亡を懸けて壇ノ浦で源氏と一戦を交えることとなりました。

しかし平家は総崩れとなり、わずか6歳であった安徳天皇は、時子に抱かれて海へ身を投じました。『平家物語』によると、時子は「浪の下にも都の候ぞ(波の下にも都がございますよ)」と言って幼い安徳天皇を慰めたといいます。

平時忠もこのとき入水しましたが、生け捕られ、京へ送られました。平家の人間が処刑されるなか、平時忠が助命されたのは、朝廷との姻戚関係が強かったことや、平時忠自身も娘の蕨(わらび)姫を源義経に嫁がせるという延命条件を提示したことが原因といわれます。

平時忠の息子が姓を変えた時国家の誕生

死罪を免れた平時忠は、能登への流罪が決まりました。現在の珠洲市大谷町に居を構えましたが、それから5年も経たないうちに生涯を終えています。

平時忠は能登で息子を2人もうけており、そのうち時国(ときくに)が跡を継ぎました。時国は源氏をおそれ、しばらくはおとなしく過ごしていたといわれますが、やがて町野庄(輪島市)に転居し、平の姓を捨てて実名の時国を姓としました

以降、時国家は農地を積極的に開墾。豪農となって時国村を成し、室町後期になると海運や製塩まで家業を拡大しました。

時国家の分立

戦国時代を経て、能登は加賀前田家が支配するところとなりました。300石を有した時国村は加賀藩領と幕府領(当初は土方(ひじかた)領)に分けられたため、時国家はこのとき二家に分立

幕府領側を「上時国家(かみときくにけ)」、加賀藩領側を「時国家(ときくにけ)」としました。両家の間を流れる小川が、藩領と幕府領の境界線だったようです。

時国家の分立

両家は300mほどしか離れていません。

上時国家は北前船で財を築く

上時国家は幕府領の大庄屋として複数の村を束ねながら、北前船による交易を拡大しました。幕末には千石船(米千石積級の船舶)を5艘所持し、北海道、九州、大阪に至るまで幅広く交易をおこないました。海運による収益は農業・製塩を大きく上回ったといいます。

この北前船で築いた財をもって、天保2(1831)年頃から28年の歳月をかけて造営された豪奢な屋敷が上時国家住宅です。現存する近世木造民家では最大級。前田家13代斉泰(なりやす)の能登巡検の際には、御宿として提供されたこともあります。

格天井が見事な奥座敷は「大納言の間」と呼ばれ、斉泰は「余は中納言ゆえ、この部屋に入るわけにはゆかぬ」として、わざわざ天井に紙を貼って格式を崩し入室したほどだったと伝えられます。

時国家は藩の重大な役職を担う

一方の時国家は、山廻役、御塩懸相見役、御塩方吟味人役など藩の役職を代々受け継ぎました。加賀藩は財政の多くを製塩に頼っていたために塩の管理は重大任務でしたが、それを請け負っていたことからも重用されていたことがうかがえます。

時国家住宅は、茅葺入母屋造りで、3本の独立柱や巨大な梁組が豪農の往時を偲ばせます。昭和60(1985)年の源平800年を機に全日本平家会が設立。このとき、安徳天皇を祀っていた赤間神宮(下関市)より分霊され、能登安徳天皇社を建立しました。

現在は両家ともに屋敷は国指定重要文化財で、庭は国指定の名勝。能登を代表する名家として、平家の変遷を今に伝えています。

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