フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

大伴家持の能登巡行の目的と経路

律令社会では、都の貴族たちが国司として各地に派遣されており、大伴家持はこの頃、越中国府に国司として着任しました。国司とは、現在の県知事に裁判長と警察署長、消防署長を兼ね合わせた最高権力者のようなポジションであったことから、いかに大伴家持が優秀で、高い地位に就いていたかが分かります。

天平20(748)年の春、国司の務めである出挙(すいこ)のために、越中国に属していた能登を訪れることになりました。出挙とは、一定の利息を取って、稲もしくは銭を貸し付けることで、その利息が国家財政の重要な財源でした。出挙の巡行の道中に能登で詠んだ歌にはそれぞれ題詞が記されており、大伴家持がどこでその歌を詠んだかが分かるようになっています。

まず、大伴家持は富山県氷見(ひみ)市から志雄(しお)町へと入り、羽咋(はくい)へと向かいました。ここで詠んだ歌は、“之乎路(しおじ)から 直越(ただこ)え来れば 羽咋の海 朝凪ぎしたり 船梶もがも”というもので、「志雄街道からまっすぐ越えて来ると、羽咋の海はいかにも穏やかだ。この海を漕ぎ渡って行く船やかじがあればいいのだが」という内容です。羽咋では氣多大社を訪れて参拝し、香島津(かしまづ)(七尾港)から船に乗り、熊来村(のちに熊木村。現在の中島町)に上陸しました。

大伴家持の歌からわかる!?能登巡行ルート選択の理由

この時点ですでに大伴家持の辿ったコースはジグザグしており、一見あまり効率のよいルートではありません。しかし、適当に道を進んだわけではなく、目的をもったうえでの進路だったことがうかがえます。

たとえば、熊来村へ向かう船上にて“鳥総(とぶさ)立て 船木伐るといふ 能登の島山 今日見れば 木立繁しも 幾代神びぞ”と詠んだ歌は、「鳥総(木の梢や枝葉)を立てて船材を伐り出す能登の島山よ。今日見ると木立が茂り、幾代を経てこうも神々しくなったのか」という意味です。ここから考えられるのは、能登の島山が造船のための木を伐採する場所であったことを大伴家持があらかじめ知っていたという可能性です。そして自分の目で実際にこれを確認しようとしたのではないでしょうか。

また、船で穴水(あなみず)に上陸すればもっとスムーズに進めたところをわざわざ熊来村へ立ち寄ったのも、地元の豪族から歌舞の奏上を受けるという目的がありました。

万葉集の巻十六には、大伴家持によって採取されたと思われる「能登国歌」が3首載せられており、そのすべてが熊来村を舞台としたものであるため、このときに奏上されたものである可能性が高いと思われます。

大伴家持の歌からわかる奈良時代の能登の様子や情景

そこからは再び陸路を進み、能登半島を横断して鳳至(ふげし)郡(現在の鳳珠(ほうす)郡の一部)へと至りました。最終的には珠洲に入り、船で七尾湾・富山湾を渡って越中へ戻ったと思われます。

奈良時代の能登に関する資料は多くありませんが、家持が詠んだ歌は、当時の能登の様子や情景を豊かに描写した貴重なものなのです。

家持の能登巡行推定ルート

家持の能登巡行推定ルート

能登はもともと越前国だったため、越前国から行きやすいように外浦側に道がありました。このため、大伴家持が氷見から羽咋を経由して七尾を目指したのは、富山湾側の道が整備されていなかったことも理由と考えられています。また、門前に関する歌が残っているため、門前に寄った可能性があります。

羽咋に眠る折口信夫と藤井春洋

国学者および民俗学者として知られる折口信夫(おりくちしのぶ)は、『万葉集』の研究に勤しみ、初の口語訳『口訳万葉集』を発行しました。それまで一般の人が読み解くには難しかった万葉集ですが、その魅力をもっと身近に感じてもらうため、初めての口述による現代語訳に挑戦したのです。

実は折口信夫は羽咋にゆかりがあります。羽咋出身の門弟・藤井春洋(はるみ)を公私ともに信頼し、しばしば羽咋の藤井家などを訪れ、春洋が出征するにあたって養子としました。しかし、その後1年も経たずして春洋は硫黄島で戦死。春洋の死後に発行された歌集『鵠が音』(たずがね)の最後には、痛切な思いに満ちた折口信夫の追い書きが収められています。

折口信夫は66歳でこの世を去りますが、その遺言どおりに、折口信夫の遺骨は春洋が眠る藤井家の墓に埋葬されました。生前、羽咋高校の校歌を作詞したため、同校の敷地内にはその歌碑が設置されています

『石川のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から石川県を分析!
石川県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。石川の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く石川の大地

・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

・開業後、石川はどう変わったか?北陸新幹線のココがすごい!
・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

・実は3代利常が名君だった!
・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

…etc.

Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

…etc.

『石川のトリセツ』を購入するならこちら

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

この記事に関連するタグ