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奄美群島と終戦

1945(昭和20)年3月から沖縄戦が始まると、奄美群島には陸海軍あわせて2万人以上の守備隊がつきます。しかし、小規模な空襲はあったものの、連合軍の上陸はなく、そのまま終戦を迎えることになりました。

日本がポツダム宣言の受諾を連合軍に通達したのは8月15日でしたが、正式に降伏文書に調印したのは9月2日のこと。徳之島の守備隊が武装解除に応じて降伏文書に調印したのは9月21日でした。

奄美群島の位置づけ

初め降伏文書には奄美群島は「北部琉球」と記載されていたことから、アメリカ側は奄美群島を「沖縄所属」として日本から分割する意図があったことが読み取れます。

奄美守備隊長・高田利貞陸軍少将はアメリカ軍のカンドン大佐と2時間半にわたる交渉を繰り広げ、奄美はあくまで「鹿児島県所属」であることを訴え、「北部琉球」の文言を「奄美群島」に書き換えさせて武装解除に応じました

奄美群島で起こった日本復帰への請願運動

1946(昭和21)年1月29日のGHQ覚書により、北緯30度以南の南西諸島は日本から行政分離され、往来と交易が断たれました。北緯30度以南の南西諸島とは、トカラ列島、奄美群島、沖縄諸島、先島(さきしま)諸島(宮古、八重山)を指します。この決定は2月2日にラジオ放送されたことから「二・二宣言」と呼ばれます。

アメリカ軍政下では、本土出身者は公職から追放され、本土に強制送還されました。臨時北部南西諸島政庁(のち奄美群島政府)が成立して奄美の行政を担いましたが、祖国から分断された奄美群島ではアメリカ軍政府に対する不満が爆発し、日本復帰嘆願運動が展開され、嘆願署名には14歳以上の住民の99.8%が署名したとされます。

奄美群島の日本復帰

1951(昭和26)年9月8日、アメリカのカリフォルニア州で「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約)が締結され、翌1952(昭和27)年4月28日に日本の主権が回復されるのに先立ち、同年2月にトカラ列島の日本への復帰が決まりました。そして1953(昭和28)年7月に朝鮮戦争が終結すると、8月8日、アメリカのダレス国務長官は帰国前に日本に立ち寄り、 奄美群島を日本に返還する用意があると明言(ダレス声明)。同年12月25日、奄美群島は日本に返還されました。住民の抵抗運動によって日本復帰を勝ち取ったのです。

戦後の行政分断図

戦後の行政分断図
『鹿児島県の近現代』(山川出版社、2015年)を元に作成

1946(昭和21)年、北緯30度以南がアメリカ軍統治下になります。1952(昭和27)年2月10日にトカラ列島(北緯29度以北)が、1953(昭和28)年12月25日に奄美群島が日本復帰。そして、1972(昭和47)年5月15日に沖縄が日本復帰となりました。

奄美の黒糖焼酎は日本復帰後も奄美群島でのみ製造が認められている

アメリカ軍政下での奄美群島では、本土から切り離されて経済的に困窮しました。そのため、課税を前提として、自家用酒の製造が特例的に許可されます。

1947(昭和22)年頃からは、日本の本土に出荷できなくなった黒糖を原料とする焼酎の製造が本格化。この年の焼酎生産量は18万ℓになり、臨時北部南西諸島政庁にとって酒税は重要な税収源となりました。のちに自家用酒の製造は禁止され、認可を受けた酒造所で生産されるようになります。

日本に復帰して以降も奄美群島でのみ黒糖を使った焼酎の製造は認められ、昭和40年代以降の焼酎ブームが追い風となり、その後も順調に出荷量を伸ばしていきました。現在、奄美黒糖焼酎は、奄美群島の特産品として定着してきています。

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Part.1 地図で読み解く鹿児島の大地

・鹿児島を筆頭に九州になぜ火山が多く一直線に並ぶ?
・大正時代に驚くべき大噴火!桜島の形成とメカニズム
・アンモナイトやクビナガリュウなど恐竜時代の化石が獅子島で続々!
・屋久島は巨大な花崗岩の塊を付加体が取り巻いている!
・超巨大火山「喜界カルデラ」に知られざる溶岩ドームが存在!
・薩摩富士・開聞岳や池田湖ほか薩摩半島南東部の火山群の歴史
・テーチ木と奄美の赤黄色土が生む日本を代表する絹織物・大島紬

…などなど鹿児島の自然のポイントを解説。

Part.2 鹿児島を駆け抜ける充実の鉄道網

・明治時代開通の鹿児島線 鹿児島~国分に始まる鉄道史
・新大阪からの直通も走る!九州新幹線鹿児島ルートの全貌
・国内屈指の大幹線として君臨・東京直通も走った鹿児島本線
・日本最長の寝台特急も走った九州東部を縦貫する日豊本線
・「おれんじ食堂」の投入など奮闘する肥薩おれんじ鉄道
・開聞岳ほか薩南の絶景を満喫!JR最南端駅もある指宿枕崎線
・県内唯一の私鉄も今や幻に・鹿児島交通枕崎線&知覧線

…などなど鹿児島の鉄道事情を解説。

Part.3 鹿児島で動いた歴史の瞬間

・鹿児島の古代史総論
・国内最古級の大規模な定住集落跡・上野原遺跡とは?
・政府と薩摩の間に起った軍事的衝突
・日本の南の玄関口・鹿児島に鉄砲やキリスト教が伝来
・九州統一を目指す島津氏VS九州攻めに乗り出した豊臣秀吉
・江戸~薩摩間約1700㎞!最も遠方からの参勤交代
・鹿児島城の築城と薩摩藩独自の外城制度
・薩英戦争が薩摩藩にもたらした近代化と倒幕への方針転換
・戦後アメリカの統治下となった奄美群島が日本復帰

…などなど鹿児島の歴史を徹底解説。

Part.4 鹿児島で育まれた産業や文化

・近代産業の礎を築いた集成館
・日本の金産出量の約9割を占める菱刈鉱山がすごい!
・かつては海軍の航空基地・鹿児島空港開港の歴史
・志布志湾に浮かぶ人工島にある志布志国家石油備蓄基地とは?
・鹿児島臨海工業地帯の造成の変遷をたどる
・ロケット打ち上げ施設は国内唯一・日本で宇宙に一番近い県
・古代より栄えた坊津の港に代わり枕崎が遠洋漁業の拠点に!
・本土が半分がやせたシラス台地なのになぜ全国有数の農業県になれた?

…などなど鹿児島の産業と文化を丁寧に解説。

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