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恐山の歴史と信仰

恐山にある恐山菩提寺(ぼだいじ)は伝承によると、862(貞観4)年、天台宗山門派の祖・円仁(えんにん)(慈覚大師)が開基。一度廃絶し、1530(享禄3)年に再興して以降、地蔵菩薩を本尊とする曹洞宗円通寺(むつ市)を本坊としています。

恐山は死者供養の聖地

火山岩に覆われ、火山ガスを噴出する「地獄」や、青緑に透き通る宇曽利山湖と湖岸の白砂が美しい「極楽浜」など、恐山は、その特異な自然景観と仏教的な世界観を重ね合わせ、この世とあの世をつなぐ場として人々の信仰を集めてきました。地蔵信仰や山岳信仰のほか、死者の霊魂は山に行くという「山中他界観(さんちゅうたかいかん)」や各地域の信仰集団「地蔵講(じぞうこう)」の慣習が融合した独特の信仰習俗が根付く死者供養の聖地なのです。

恐山が有名になった経緯

全国的に有名な参詣地になったのは、下北半島をめぐる海運が発達した江戸時代。明治時代は鉄道駅から遠く、不便なことから秘境化が進み、1921(大正10)年に大湊軽便線(現・JR大湊線)が開通すると、観光地化が進展。高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場と呼ばれるようになりました。

恐山を語るうえで欠かせない「イタコ」の存在

恐山と同様、青森独自の宗教観や習俗に根差す存在が「イタコ」です。イタコは死者や神仏の声を伝える霊媒師で、起源は江戸時代。修験者(山伏)の妻が呪術を身につけ、師匠から弟子へと巫術(ふじゅつ)を継承していったといいます。死者の魂を降ろす「口寄せ」をはじめとする託宣や祈祷、お祓いなどを行い、最盛期の明治初期には南部地方を中心に約500人いたとされています。

イタコはどのような人?

イタコは原則として視覚に障害を持つ女性で、青森の風土の中で生きるための職業でもあり、集落のよろず相談的な役割を果たしてきました。盆や縁日などにイタコが集い、口寄せを行う青森独特の催し「イタコマチ」が恐山で始まったのは昭和初期といわれています。「戦死者の声を聞きたい」という多くの人の願いを背景に、死者の魂が集うという民間信仰が根付く恐山は口寄せの場にふさわしく、昭和30〜40年代にマスコミによるイメージが広まり、イタコは恐山の代名詞的存在となったのです。

恐山のイタコは消滅の危機に瀕している

恐山での口寄せは大盛況となり、平成時代の初めにはイタコ30人ほどが、恐山に出張していました。ですが、将来の商売敵とならないよう弟子の育成を怠ったことや、高齢化の進行、視覚障害児の減少などにより、「師資相承(ししそうしょう)」で修行を積んだ正統なイタコが激減。青森県内で活動するイタコは2019(令和元)年で6人のみと、消滅の危機に瀕しています。イタコの巫術は口伝で受け継がれ、書物などがないため、映像記録に残すなど、現在はイタコ文化の継承が模索されています。

霊場恐山

住所
青森県むつ市田名部宇曽利山3-2
交通
JR大湊線下北駅から下北交通恐山行きバスで43分、終点下車すぐ
料金
入山料=大人500円、小人200円/(団体20名以上は大人400円)

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Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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