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後宮の人々

後宮では、天皇とその后妃(こうひ)を頂点として、その世話をする女房、女官たちが仕えていました。妃にも位があり、平安中期は上から皇后(中宮(ちゅうぐう))、女御(にょうご)、更衣(こうい)の順に位付けがなされています。

女御は皇族や大臣の娘がなり、そのなかから皇后へと昇格しました。中宮はもともと皇后の通称だったのですが、一条(いちじょう)天皇の治世、娘を后にしたいと望んだ藤原道長(みちなが)が、中宮の定子(兄・道隆(みちたか)の娘)を皇后としたうえで、自分の娘の彰子を中宮としました。
こうして皇后と中宮を分けたことで、ひとりの天皇に同時に二后が並び立つことになったのです。

後宮内女房の階層

一方、女房には天皇に仕える「上(うへ)の女房」(「内裏女房」とも呼ばれる女官)、后妃に仕える「宮(みや)の女房」がいました。

上の女房は後宮の公的な女官ともいえる後宮十二司(じゅうにし)も含みます。その筆頭は、天皇の側に仕えてそのお言葉を伝える内侍司(ないしのつかさ)の長官である尚侍(ないしのかみ)で、これに典侍(ないしのすけ)掌侍(ないしのじょう)を合わせた三職がトップ集団とされていました。

「宮の女房」は后妃が実家にいたときから付いていた女房で、後宮に入った後に女叙位(おんなじょい)を受けていたものの、私的な性格は持ち続けていたと考えられます。紫式部や清少納言はこの宮の女房に属していました。

平安後宮の女性の身分と階層

帝の后と妃

中宮(ちゅうぐう)・・・皇后(正妻)と同資格を持つ后。女御から昇格します。もとは皇后の別称でしたが、平安時代、皇后が複数立った際に最初に立后した者を中宮と称するようになりました。

女御(にょうご)・・・中宮の次位。皇族や大臣の娘がなります。元は「嬪(ひん)」と同じでしたが、のちに皇后に昇る前の地位となります。

更衣(こうい)・・・女御の次位。大納言以下、位の低い貴族の娘がなる身分で妃の待遇となっていました。もとは天皇の着替えなどを担当する女官でしたが、居室や寝室において身近で仕えるため、寵愛を受けることもありました。そのため上級貴族の娘も更衣になり、そこから中宮や女御に上る者も出ました。

後宮内の女官・女房のトップ3

尚侍(ないしのかみ)・・・内侍司(後宮の役所)の長官。摂関家の娘などがなります。
典侍(ないしのすけ)・・・内侍司の次官。
掌侍(ないしのじょう)・・・内侍司の三等官。

後宮内の女房・女官の階層

女房も細かく階層が分かれていました。女房の下には、その他として女官がいました。

~女房~
【上臈(じょうろう)】
官位: 大臣や大納言の娘など、三位以上
職務:中宮の食事の給仕を務める役目の者、髪をすいたり化粧をしたりする役目の者、中宮を楽しませる役目の者などがおり、禁色(きんじき)を許されていました。

【中臈(ちゅうろう)】
官位:四~五位
職務:女童(中宮や姫君の身の回りの世話をする未成年の少女)や下臈の女房たちの仕事を監視
し、雑用もこなしました。清少納言や紫式部はこの階層に属します。

【下臈(げろう)】
官位:摂関家の家司や神社の家の娘たち
職務:下級の女官で後宮十二司に勤務。中宮、上臈とも会話をする機会はほとんどありません。

~女官~
官位:なし
職務:采女(うねめ)、刀自老女、雑仕、女童など下級の女官。

斎王

斎王(さいくう、いつきのみや)・・・伊勢神宮に奉仕する皇女。天皇の即位ごとに未婚の内親王か女王から選ばれます。

斎院(さいいん)・・・賀茂神社に奉仕する未婚の内親王か女王。

後宮内の仕事

もともと後宮で働く女官の仕事は、律令(りつりょう)(古代国家の基本法)で細かく定められ、後宮内には後宮十二司と呼ばれる役所がありました。とくに内侍司(ないしのつかさ)は、天皇と役人との連絡役という重要な責任を持つ役所で、清少納言も、内侍司の実質的な長官である典侍(ないしのすけ)に憧れていたことを『枕草子』で告白しています。

後宮で多くの仕事をこなした女房たち

一方で中宮には、貴人の装束を裁縫・調達する御匣殿(みくしげどの)などの女官が配されていましたが、中宮は私的な女房も抱えていました。彼女たちは中宮の話し相手や食事の給仕だけでなく、女官の仕事を一部兼ねるようになります。

宮中儀式ヘの参加や奉仕、来訪する貴族や官人の接待や取次役など、多くの仕事をこなすようになったのです。とくに貴族や官人たちとの折衝(せっしょう)は重要な役目で、才知に富んだ清少納言は多くの貴族から信頼されたようです。

一方、紫式部は、『紫式部日記』において彰子の上臈(じょうろう)女房がこうした役割をきちんと果たせないことに不満を漏らしています。ただし当時、高貴な女性にとって、男性と顔を合わせることは、はしたないとされていました。そのため多くの男性と接触する女房たちは軽薄とみなされた風潮があり、女房たちの引っ込み思案も無理のないものだったのかもしれません。

後宮は出会いの場

男性官人が出入りする後宮は、女房と貴族にとって出会いの場でもありました。そのため、妃に準じて扱われる女官もありました。なかでも帝のそば近くで文書を取り次いだり、帝の言葉を臣下に伝えたりする尚侍は、帝の寵愛を受けることもあったようです。

後宮の具体的なお仕事内容

訪問客の接待
ひっきりなしに訪れる貴族の対応を行なうのが、後宮の女房たちの大きな仕事です。後宮の女房には高い社交性が求められ、『枕草子』には清少納言と貴族たちの当意即妙のやりとりが数多く登場します。一方で『紫式部日記』には、先述のように恥ずかしがって対応に出てこない先輩女房への苦言が記されています。

御進講(ごしんこう)
皇后、皇族に対して学問の講義を行なうこと。紫式部は漢文の知識を買われ、中宮・彰子に『白氏文集』「新楽府(しんがふ)」の御進講を行ないました。これは現代の宮中でも行なわれています。

主のお世話
女房には後宮十二司に属し天皇の身辺の世話を行なう「上の女房」、中宮付きの「宮の女房」があり、『枕草子』に登場する「香炉峰の雪」の逸話からうかがえるように、主の会話の相手をするのも、彼女たちの役割です。当然ながら高い教養が求められていました。

後宮十二司の仕事

後宮が滞りなく運営されるよう、律令の下で後宮で働く女房・女官の仕事は細かく決められ、後宮内に設置された12の役所(後宮十二司)に属する女性たちが日々の雑務を担当していました。

内侍司(ないしのつかさ)
天皇の身近に仕えて天皇のお言葉を伝えるなど、秘書的な役割を果たす職務。後宮十二司のなかで最も重要な仕事でした。

膳司(かしわでのつかさ)
天皇・皇后の御膳の係を担います。配膳や試食などを担当しました。

書司(ふみのつかさ)
書物、紙、墨などの管理を行ないます。ほかにも和琴などを運ぶ役割も担っていました。

縫司(ぬいのつかさ)
宮中で用いられる衣装の裁縫の担当。帯や組紐の製作も行ないます。後宮のなかでも地位が高かったのですが、のちに縫殿寮に改組されました。

蔵司(くらのつかさ)
神璽、御衣服などを管理する職掌で、令では十二司の筆頭とされました。

薬司(くすりのつかさ)
天皇が服用する薬を調合したり、毒見を行ないました。ただし、処方は後宮十二司には含まれない内薬司の職務であったのでした。

そのほかの後宮十二司
水司(もいとりのつかさ) ・・・漿水、雑粥などを進める役割。
殿司(とのもづかさ) ・・・燈火や薪炭の管理を行なう職掌。
掃司(かにもりのつかさ)・・・諸殿舎内の御格子の上げ下ろし、清掃を担当する職掌。
兵司(つわもののつかさ)・・・兵器を管理する職掌。
闈司 (みかどのつかさ) ・・・闈は宮中の門のこと。鍵を管理する職掌。
酒司 (さけのつかさ) ・・・御酒を造る役。

後宮サロン

9世紀後半の宮廷では、歌合(うたあわせ)や管絃(かんげん)といった遊芸が盛んになり、後宮の妃たちにも和歌や琴などの教養が必須となっていきました。

10世紀の摂関時代にはこうした傾向が高まり妃を中心に文化サロンが生まれます。そのため女房には世話係のみならず、中宮の教育係としての役割も求められ、清少納言や紫式部など高い教養を持つ女性が抜擢されたのです。

後宮文化の発信源となった女房たち

たとえば清少納言は、中宮の定子(ていし)から「香炉峰(こうろほう)の雪はどんなであろうか」という問いを受けた際、漢詩の知識を生かして、『白氏文集(はくしぶんしゅう)』にある「香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげて看みる」という一文を踏まえ、簾をかかげて庭の雪を見せたというエピソードがあります。また、紫式部は彰子(しょうし)に漢詩の講義をするなど、教育係としての役割を果たしています。

女性文化人が活躍する舞台として整えられた後宮サロンからは、定子に仕えた清少納言のほか、彰子に仕えた紫式部和泉(いずみ)式部赤染衛門(あかぞめえもん)などが輩出されました。

一条天皇の時代に栄えた3つのサロン

彰子と定子が並び立った一条天皇の時代、宮中には彼女たちを中心とするふたつのサロンがあり、それに加え、賀茂の斎院を務めていた選子(せんし)内親王を中心とした斎院サロンが、斎院御所に栄えていました。紫式部は都の喧騒を離れた長閑(のどか)な趣の斎院サロンを、紫式部はうらやんでいたようです。

後宮の年中行事

平安時代は、宮中における儀式や行事などがほぼ完成した時代です。
『源氏物語』にも五節(ごせち)や追儺(ついな)など、宮中における年中行事に関する記述が数多く登場します。これらは実際に行なわれていた行事で、紫式部自身の体験のほか、周囲から聞いたものや記録等で知ったものもあったことでしょう。

後宮の生活は、宮中の年中行事と深く関わっていました。後宮を舞台とする行事は多くないものの、紫式部ら後宮の女性たちにとって、様々な行事に参加するのも重要な役目でした。とくに元日節会(せちえ)端午(たんご)の節会といった公式の節会には、後宮の女性たちも参加するのが習わしとなっていました。

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【監修者】竹内正彦

1963年長野県生まれ。國學院大學大学院博士課程後期単位取得退学。博士(文学)。
群馬県立女子大学文学部講師・准教授、フェリス女学院大学文学部教授等を経て、現在、國學院大學文学部日本文学科教授。専攻は『源氏物語』を中心とした平安朝文学。著書に『源氏物語の顕現』(武蔵野書院)、『源氏物語発生史論―明石一族物語の地平―』(新典社)、『2時間でおさらいできる源氏物語(だいわ文庫)』(大和書房)、『図説 あらすじと地図で面白いほどわかる!源氏物語(青春新書インテリジェンス)』(青春出版社、監修)、『源氏物語事典』(大和書房、共編著)ほか。

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