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静岡鉄道・駿遠線は軽便鉄道としても最長の路線だった

東海道本線ならば藤枝駅から袋井駅まで37.8㎞のところ、駿遠線は駿河湾西岸を進んで御前崎の近くまで南下し、そこから袋井へ向かうというルートをとっていたため、国鉄藤枝駅に隣接していた新藤枝駅から社袋井駅(新藤枝駅と同じく国鉄駅に隣接)まで60.7㎞と、東海道本線に比べ1.6倍もの距離がある大回りルートとなっていました。

また、駿遠線は軌間762㎜の、非電化の軽便鉄道でした。一般の鉄道に比べ規格が簡易で建設費が抑えられることから、かつては全国各地で見られた軽便鉄道ですが、車両が小型で、高速運転にも適さないため輸送力が劣ることから、短距離のローカル鉄道が多かったのです。そのため、駿遠線は延長64.6㎞ながら、軽便鉄道としては日本最長の路線でした。

静岡鉄道・駿遠線は軽便鉄道としても最長の路線だった

静岡鉄道・駿遠線の歴史

静岡鉄道駿遠線は、2つの鉄道会社がそれぞれ藤枝側、袋井側から徐々に伸ばした線路が、最終的に一本につながるという歴史をたどりました。

最初に開業した区間は大手駅~藤枝新駅(のちの新藤枝駅)間3.9㎞で、1913(大正2)年11月、当時の藤相(とうそう)鉄道が開業させています。同社は藤枝側から徐々に線路を伸ばし、1926(大正15)年に4月に、駿河岡部駅(当時志太郡岡部町、現在は藤枝市)から大手駅、藤枝新駅を経て地頭方(じとうがた)駅(当時榛原郡地頭方村、現在は牧之原市)に至る、36.7㎞の路線が完成しました。ただし、駿河岡部駅~大手駅間4.8㎞は営業成績が振るわず、1936(昭和11)年5月に廃止されています。したがって駿遠線の最長時の延長64.6㎞の中には、この区間の距離は含まれていません。

一方、袋井側からの線路は、当時の中遠(ちゅうえん)鉄道が1914(大正3)年開業の新袋井駅(のちの社袋井駅)~新横須賀駅(当時小笠郡横須賀町、現在は掛川市)間10.3㎞を皮切りに徐々に線路を伸ばし、1927(昭和2)年4月に、社袋井駅~新三俣駅(当時小笠郡三俣村、現在は掛川市)間17.3㎞の路線が完成しました。

静岡鉄道・駿遠線は3社が統合されてできた路線

1943(昭和18)年5月、戦時統制により全国で地域の交通事業者の統合が行われました。藤相鉄道、中遠鉄道の両社も、当時静岡県中部地方で営業していたほかの交通事業者3社とともに静岡鉄道として統合され、両者の路線は静岡鉄道藤相線、中遠線となりました。

そして、戦後の1948(昭和23)年、1月に新三俣(しんみつまた)駅~池新田駅(のちの浜岡町駅)間8.2㎞が、9月に地頭方駅~池新田駅間7.1㎞が開業したことで、大手駅から社袋井駅までの「日本一長い軽便鉄道」が全通し、線名も「駿遠線」とあらためられました。

静岡鉄道・駿遠線の衰退

駿遠線は、通勤・通学や買い物の足として、また沿線に海水浴場が複数あることから行楽の足としても多くの利用客を集めました。しかし、高度経済成長期の中道路が整備拡充され、バスやマイカーの普及が進むと利用客の数は年々減少し、廃止が始まることとなったのです。

1964(昭和39)年9月、最初に廃止されたのは大手駅~新藤枝駅間3.9㎞と、堀野新田駅~新三俣駅間13.1㎞の2区間。これによって、駿遠線は再び藤枝側、袋井側に分断され、「日本一長い軽便鉄道」だった期間は、わずか16年間で幕を閉じました。

その後、駿遠線は1967(昭和42)年、1968(昭和43)年にも部分廃止が行われ、最後に残った新藤枝駅~大井川駅間6.3㎞も1970(昭和45)年7月31日限りで営業を終えました。

静岡鉄道・駿遠線の面影は観光地として今も残る

ここで振り返った歴史の通り、全線廃止からすでに半世紀以上を経過した駿遠線ですが、存在期間が短かった駿河岡部駅~大手駅と、堀野新田駅~新三俣駅に相当する区間以外では、過去の面影が比較的見つけやすくなっています。線路の路盤跡が、歩行者自転車道や遊歩道として整備された区間も多いといわれます。

旧小笠郡大須賀町(現在は袋井市)内では、「笠原軽便通り」と名付けられた、駿遠線の面影を伝えることを意識したウォーキングコースとして整備された区間に、五十岡(いごおか)駅のプラットホームが残っています。こうした鉄道構造物の遺構としては、ほかにも、各所で自転車歩行者道や生活道路の橋に転用されている鉄橋の橋脚、大井川の両端に残る、かつてこの川に架かっていた長大な鉄橋ならぬ“木橋”の橋台、太平洋岸自転車道の一部となった小堤山(こづつみやま)トンネルなどがあります。

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・南から来た、火山の贈り物、伊豆半島ジオパーク
・交通の難所「大崩海岸」は海底噴火によって作られた!
・「日本三大人工美林」数えられる天竜の杉林は川の氾濫に関係があった?
・磐田市にトンボの楽園があった!
・湖?川?海?浜名湖の正体を探れ!
・世界遺産「三保松原」は江戸時代に「島」から「半島」になった!

などなど静岡のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 静岡を駆け抜ける鉄道網

・静岡県の鉄道の歴史は沼津市内の貨物線から始まった
・かつては「東海道本線」だった由緒正しき(?)御殿場線
・JRと私鉄が一体となって形成する伊豆半島東海岸の鉄道ルート
・意外なエピソードを秘めた東海道本線・静岡鉄道の並行区間
・「政令指定都市・静岡」の市内も走る山岳鉄道、大井川鐵道井川線
・軍事上の要請が背景にある天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)のルート

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Part.3 静岡で動いた歴史の瞬間

・静岡最古の古代人は愛鷹山付近にいた!
・日本考古学の聖地・登呂遺跡
・日本書紀に見る静岡とヤマトタケルの伝説
・源頼朝も流された流刑地伊豆
・下田が開港の舞台になったのはなぜか
・江戸城よりも大きかった駿府城天守台
・日本にたった一つしかない形の城・田中城
・家康の遺体は日光ではなく久能山にある?
・徳川慶喜と渋沢栄一の意外なつながり

などなど、激動の静岡の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 静岡で育まれた産業や文化

・模型の首都!静岡が生まれたワケ
・バイクに楽器。浜松のものづくりは綿花の栽培から
・ボールは友達!サッカー王国しずおか
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・月ではなく富士山に帰ってしまう「かぐや姫」
・仏教界のスーパースター空海が静岡に残した伝説

…などなど静岡の発展の歩みをたどる。

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