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小谷城落城~羽柴隊の曲輪分断策の前に敗れ去った小谷城の守り

信長は、羽柴秀吉(はしばひでよし)を姉川の南岸に突出した横山城の城番とし、天正元年(1573)6月から小谷城攻略を開始していました。8月には、小谷城と対となって機能していた山本山城の阿閉貞征(あつじさだゆき)が織田軍に内通します。

これを機に本格的な攻勢をかけてきた信長の前に、援軍の朝倉勢は撃退され、刀禰坂(とねざか)の戦いで壊滅します。そのまま本拠一乗谷に追い込まれ滅亡してしまいます。友軍を失った小谷城は孤立しましたが、それでも長政は難攻不落の城を頼みに籠城を継続します。長政の籠る本丸と久政の籠る小丸で連携し、しぶとく抵抗しました。

しかし、清水谷(しみずだに)の急峻な崖を駆け上がった木下隊によって本丸と小丸との間にある京極丸(きょうごくまる)を占拠されたのが致命傷となります。曲輪(くるわ)分断策で孤立した小丸、続いて本丸が落城に追い込まれ、浅井氏は滅びたのです。

小谷城落城:信長に翻弄された浅井・朝倉の滅亡

天正元年(1573)、小谷城を織田軍に包囲された浅井長政は朝倉義景に援軍を依頼します。しかし、信長は先に援軍の朝倉勢を撃退するとそのまま本拠一乗谷へ乱入します。朝倉家を滅亡させて小谷城を孤立させてしまいます。最後は小谷城の曲輪を分断され、本丸と小丸の連携が絶たれ、落城へと追い込まれました。

戦国の豆知識:小谷城落城

浅井長政の裏切りの際、信長のもとへ、お市は前後を固く結んだ袋に入れた小豆を届けました。ここから、信長は、自軍が前後から包囲されることに気づいたといわれますが、伝説にすぎないようです。

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【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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