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室町時代の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

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享徳の乱~関東でひと足早く始まった戦国時代!

鎌倉公方と関東管領の対立から享徳の乱が勃発すると、古河公方と堀越公方、堀越公方を支援する山内・扇谷の両上杉氏が並び立つ大規模な争乱に発展。その後、両上杉氏の対立も起こり、関東地方は長い戦いの時代が続き...

永享の乱~幕府を逆恨みする足利持氏が反旗を翻すも失敗に終わる~

鎌倉公方の足利持氏は、将軍になれなかったことに憤り、幕府に対して反抗的な態度をみせるようになりました。しかし、その動きが専制を強める足利義教の目にとまってしまったのです。 【要点はココ!】 ◎鎌倉...

足利義教は万人恐怖政治を行った魔の将軍だった

くじ引きで選ばれた6代将軍足利義教は、在職中に有力守護や公家を圧迫したり、意に沿わない者を次々に誅殺するなどしたため、その治世は「万人恐怖」と呼ばれることになりました。...

倭寇とはどんな集団?じつは日本人はそれほどいなかった?!

倭寇は日本人が集まってできた海賊集団といわれていましたが、じつは倭寇に日本人はそれほど多くなく、中国人や朝鮮人の割合が多かったよというのが事実のようです。...

応永の外寇~対馬に朝鮮軍が押し寄せ元寇以来の対外戦争が勃発!

倭寇の襲撃を受けた李氏朝鮮は、その報復として倭寇の根拠地とされる対馬攻撃を行います。対馬の島民も反撃に出て撃退に成功しましたが、大きな遺恨を残すことになりました。 【要点はココ!】 ◎倭寇の襲撃に...

上杉禅秀の乱!室町幕府の支配体制が揺らぐ前関東管領によるクーデター

関東管領の上杉氏のうち犬懸家と山内家が競り合うなか、関東管領を罷免された犬懸家の上杉禅秀がクーデターを起こします。最初は禅秀方の優位に展開しましたが、幕府が追討軍を出すと禅秀は自害に追い込まれることに...

日明貿易によって巨大ビジネスをものにした足利義満

明との交易では、日本は明と対等の関係を捨てて属国となる「朝貢」の形をとりました。その場合、主の国(明)は臣下の国の貢物の3倍に相当する返礼をするのが基本とされていたため、日本に大きな経済効果がもたらさ...

足利義満は武家と公家両方の頂点に立ち、室町幕府を全盛期に導いた

南朝の勢力衰退にともない、守護が力をもつようになると、将軍家はその勢力削減に動きます。足利義満は内紛を誘発するなどして、守護大名一族の弱体化を進めました。 その後、室町幕府は鎌倉幕府を踏襲した体...

観応の擾乱~尊氏と直義の骨肉の争い!

足利尊氏・直義兄弟は二頭政治を行っていましたが、やがて対立し、全国規模の内乱を繰り広げます。それは「日本史上最大の兄弟喧嘩」といわれるほど激しいものでした。 【要点はココ!】 ◎足利尊氏・直義兄弟...

南北朝時代~朝廷が分裂して天皇が2人に!北朝と南朝の攻防

約60年間にわたる南北朝時代、両朝廷からそれぞれ天皇が即位したため、同時期に2人の天皇が存在することになりました。こうした事態は、この時期以外にありません。...

足利尊氏は政府打倒を目指してついに後醍醐天皇と決別!

足利尊氏(あしかがたかうじ)はついに後醍醐天皇と決別!政府打倒を目指します。 【要点はココ!】 ◎建武の新政に不満を抱いた武士たちが足利尊氏の反乱を後押ししました。 ◎足利尊氏は新田義貞や北畠顕...

室町幕府の関連人物~足利将軍と幕府の主要人物紹介~

足利尊氏が鎌倉幕府に取って代わる室町幕府を開きました。新たな武家政権の誕生です。3代将軍義満の時代に最盛期を迎えますが、幕府内の内乱や朝廷の南北分裂、守護大名の勢力争い、そして応仁・文明の乱など争いが...

竹田城の最後の城主となった赤松広秀によって築かれた石垣

標高353.7mの古城山山頂にある竹田城跡。そこは但馬と播磨の国境に位置する要衝でした。そして、築城に欠かせない大量の石は現地調達したものでした。...

三好長慶、赤松満祐、 波多野秀治…兵庫の有力大名・武将たち

「応仁の乱」から戦国時代終焉まで、兵庫県は赤松氏や山名氏など有力武将の所領争奪の舞台でした。武将たちの没落と台頭の歴史をみてみましょう。...

後醍醐天皇の執念と鎌倉幕府滅亡

正中の変で失敗した後醍醐天皇は、再び討幕を狙って挙兵します。しかし、六波羅探題軍などに鎮圧され、元弘の変も失敗。後醍醐天皇は隠岐に流されてしまいました。 しかし、後醍醐天皇は隠岐から脱出することに成...

13人の合議制とは?カリスマ源頼朝の死後、鎌倉の幕政の主導権を握った

2代将軍源頼家はまだ若く指導力不足だったため、幕政は 13人の重臣たちによる合議制で運営されることになりました。 その13人のなかでも、比企能員は源頼朝が梶原景時とともに最も頼りにしていた御家人...

後鳥羽上皇の企み~目指すは公武合体による親政~

【要点はココ】 ◎暗殺された3代将軍源実朝は、幕府と朝廷のパイプ役を担っていました。 ◎後鳥羽上皇は親政を目指し、西面の武士を創設するなど兵力を拡充していました。 ◎実朝暗殺を機に、後鳥羽上皇は...

相馬氏とはどんな一族?~相馬地方を約700年統治した古豪~

鎌倉幕府が成立して以降、歴代の武家政権下で常に君臨し続けた稀有な例が相馬氏です。 相馬氏による福島支配の歴史を見ていきましょう。...

伊達氏のルーツは福島にあり!奥州制覇を果たすまでの道のり

戦国時代末期、伊達政宗の活躍によって奥州全域に広い支配地域を確立した伊達氏は、その歴史を紐解くと福島に源流がありました。...

霊山山頂にあった幻の霊山寺とは?~南北朝時代の南朝の拠点となった寺院城郭~

霊山の山頂には寺院城郭が存在しました。 現在では遺構をわずかに残すばかりですが、かつては歴史を大きく左右した攻防が繰り広げられたのです。...