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長野県の縄文遺跡~八ヶ岳山麓周辺~

このような理由から、縄文人は八ヶ岳西南麓に多くの集落を形成し、現在この地域で確認されている縄文遺跡は3000以上にも及びます。八ヶ岳山麓は、同時期の日本列島でも有数の人口密集地であったといえるでしょう。

長野県の縄文遺跡①:井戸尻遺跡群(いどじりいせきぐん:諏訪郡富士見町)

代表的な遺跡としては、井戸尻遺跡群(諏訪郡富士見町)が挙げられます。八ヶ岳南側の標高800~1000mあたりには井戸尻、曽利(そり)、藤内(とうない)、九兵衛尾根(きゅうべえおね)、居平(いだいら)、唐渡宮(とうどのみや)、向原(むかいはら)など20カ所以上の遺跡が集中し、この遺跡群からは100件以上の竪穴住居跡と遺物が発見されました。出土した土器の種類と数は豊富で、縄文時代中期の中部・関東地方の土器編年に「井戸尻式」の名が冠せられるようになったほどです。また、住居址の炉の周辺からは、堅果類を原料としてつくったパン状の炭化物も見つかっており、当時の植物質食糧の研究に大いに役立ちました。

長野県の縄文遺跡②:尖石・与助尾根遺跡(とがりいし・よすけおねいせき:茅野市豊平)

尖石・与助尾根遺跡(茅野市豊平)もこの時代を代表する遺跡です。八ヶ岳の西側、標高1000mの高原にある尖石遺跡与助尾根遺跡は沢をひとつ隔てた位置にあり、両遺跡合わせて60以上の住居址が発見されています。とりわけ尖石遺跡は、昭和初期に考古学者の宮坂英弌(みやさかふさかず)によって発掘調査が行われ、わが国で初めて縄文集落の全容が明らかにされた場所であり、現在は国の特別史跡に指定されています。

八ヶ岳山麓周辺には井戸尻遺跡群、尖石・与助尾根遺跡をはじめ、縄文時代中期の遺跡が多くあります。遺跡が密集していることから、人口密度の高さがうかがえます。
『長野県の歴史』(山川出版社、2010年)を元に作成。

茅野市尖石縄文考古館・尖石遺跡

住所
長野県茅野市豊平4734-132
交通
JR中央本線茅野駅からアルピコ交通渋の湯行きバスで20分、尖石考古館下車すぐ
料金
大人500円、高校生300円、小・中学生200円(20名以上の団体は割引あり、大人400円、高校生200円、小・中学生150円、障がい者手帳等持参で本人と同伴者1名無料)

長野県の縄文遺跡は縄文後期には千曲川流域へ

縄文時代の後期(約4000~3600年前)になり、気候が再び寒冷化に転じると、人々は台地上から平地へと生活の拠点を移しました。この時期から東京湾沿岸部では貝塚文化が栄えるようになるのですが、長野県域では八ヶ岳付近の遺跡数は最盛期の3分の1まで激減し、千曲川流域で集落がつくられるようになっていきます。

長野県の縄文遺跡③:北村遺跡(安曇野市明科)

縄文時代中期から後期にかけて、松本平の北端に北村遺跡(安曇野市明科(あかしな))が形成されました。この北村遺跡からは仮面土偶が見つかっており、469基の墓から300体あまりの縄文人骨が出土しています。形質学的鑑定の結果、この「北村人骨」のうち122体の性別(男性51人・女性71人)が判明しており、平均身長は男性が157.9㎝、女性が151.2㎝と、現代人に比べてかなり小柄であったことがわかっています。平均寿命は34歳で、骨に含まれる炭素と窒素の同位体分析(コラーゲン分析)から食糧の7割近くをドングリやクリ、クルミなどの植物に頼っていたことが判明しました。

生活拠点を平野部に移したことにより、稲作文化を受容する下地が整い、やがて弥生時代を迎えることになります。

【長野県の縄文遺跡番外編】国宝になったふたつの土偶

1986(昭和61)年に棚畑(たなばたけ)遺跡(茅野市米沢)から出土した土偶は、腹部と臀部(でんぶ)が大きく張り出した妊婦像で「縄文のビーナス」と呼ばれています。その表情は、切れ長の目、小さな口、尖った鼻など、縄文時代中期に八ヶ岳山麓周辺でつくられた土偶ならではの特徴を有していました。また、2000(平成12)年に中ッ原(なかっぱら)遺跡(茅野市湖東(こひがし))で発見された逆三角形の仮面を顔に装着した土偶は「仮面の女神」の異名をとっています。この2体はいずれも国宝に指定されています。

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地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から長野県を分析!

長野県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。長野の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く長野の大地

・地形・地質総論「東西から圧縮されている長野」
・伊那山地と南アルプスを縦貫!日本最大の断層・中央構造線
・大地溝帯フォッサマグナとかつて信州が海だった証
・火山活動の歴史を物語る山容 八ヶ岳連峰の南北で大きな違い
・北アルプス唯一の活火山!焼岳の噴火と上高地盆地の形成
・天竜川と断層で形成された伊那谷の日本一の河岸段丘
・野尻湖のナウマンゾウ化石に旧石器人の生活が見える?
・千曲川沿いの段丘上に築かれ、急崖と川が守る上田城のすごさ

などなど長野のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 長野を駆け抜ける鉄道網

・高崎~長野の長野新幹線に始まり敦賀への延伸を目指す北陸新幹線
・66.7パーミルの勾配路線だった信越本線碓氷峠とは?
・東京と名古屋を結ぶ大幹線で山岳地帯を駆け抜ける中央本線
・明治期に開通し善光寺平と松本盆地を結ぶ篠ノ井線
・伊那谷やアルプスを望み旧型国電も走った飯田線
・県内最大の路線網を誇った、私鉄・長野電鉄の変遷
・別所温泉に向かう温泉電車、上田電鉄別所線の魅力

などなど長野ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 長野で動いた歴史の瞬間

・縄文遺跡の宝庫・信州は日本一の人口密度だった!?
・信濃の国は有数の馬産地! 都に名を馳せた望月の駒とは?
・弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として平氏討伐
・信州の南北戦争と呼ばれる大塔合戦はどうして起きた?
・甲斐武田信玄vs越後の上杉謙信、二大英雄が激戦を演じた川中島
・流転した善光寺の本尊は天下人の元に安置された?
・松本の貞亨騒動や上田の宝暦騒動 信州で百姓一揆が続発したわけ
・松本城が直面した取り壊し危機 救ったのは松本の住民だった!

などなど、激動の長野の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 長野で育まれた産業や文化

・江戸時代に整備された用水路 五郎兵衛用水路とは?
・信州の気候風土を生かした寒冷地農業のここがすごい!
・蚕糸王国として栄えた長野県が電気機械工業県に変貌したわけ
・明治期の外国人別荘に始まる軽井沢エリアのリゾート化
・洪水を繰り返してきた暴れ川、千曲川を巡る治水事業の全容
・日本三大奇祭に数えられる、諏訪大社の御柱祭の本質とは!?

などなど長野の発展の歩みをたどる。

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