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砺波平野の散居村の成り立ちと扇状地

居村の成り立ちを語るうえで、庄川の存在は欠かせません。この川は砺波市の中央部を流れていますが、流域面積の93%が山地。上流から大小の川を集めながら庄川峡谷となり、そこを抜けると砺波平野となる扇状地を形成しています。

扇状地は水が得にくいため、本来稲作には不向き

本来、扇状地は砂や小石が多く堆積し、水は地下へと染み込んで伏流水となってしまうため、扇状地の中央部では水が得にくいのです。扇状地の水田というものは「ザル田」といわれるほど水もちが悪く、稲作には不向きとされています。実際、日本に多く存在する扇状地は、水田ではなく畑や果樹の栽培に利用されていることが多いのです。

砺波平野は扇状地ながら水に恵まれている

しかし、砺波平野を流れる庄川は山地からの水量が豊富で、地下に染み込んでしまう水よりさらに多くの水が川から表流水供給されます。これは庄川流域が降水量や降雪量に恵まれているからであり、水を引くことが容易でした。

となみ散居村ミュージアムは散居村の魅力の発信拠点。

砺波平野の散居村化が広がった理由

また、扇状地では地表の土層が薄く、その下は砂や小石が堆積しています。庄川から水が引けるとはいえ、少しでも表土層が厚いところから開拓されました。人々は自分の土地の中央に居住して、それぞれの家の周りの土地を開拓して米作りをおこなってきました。農地が自分の家のすぐ周りにあることは、朝夕の水の管理や刈り取った稲の運搬など、あらゆる農作業において効率が良く、散居村の形態が広がったと考えられています。

砺波平野の散居村が拡大した背景

かつての庄川は、扇頂部から西北の方向へ幾筋にも分かれていました。急流ゆえに何度も洪水を繰り返しながら次第に東へと流れを変えて、現在の庄川に至っています。加賀藩が治水事業に着手してからは川の流れも安定し、さらに開拓は進みます。支流の川跡などを利用して網目のように用水路が形成され、この用水路網を利用して散居村は拡大していきました。

砺波平野の散居村で見られる「カイニョ」

砺波の散居村では、農家を取り囲む屋敷林が知られており、それを「カイニョ」と呼びます。この屋敷林は冬の風雪や春のフェーン現象による強風から家を守るために植えられたものです。柿や庭園用の庭木も含まれていますが、スギやケヤキなどの大きな樹木も多く、かつては家を建て替えるときの建築材としても利用されました。そして落ち葉や枝木などは毎日の炊事や風呂焚きの燃料として使われ、ほぼ自給自足に近い暮らしを実現させていたのです。

砺波平野の「カイニョ」がある風景をなくさないために

昭和30年代にはほ場整備や用水の改修がおこなわれ、さらに道路や下水道の設備も進みます。農家の人々の多くは、兼業化により、休日は農業に従事するようになり、集落営農や請負耕作の形態も増え、生活の在り方は変わりつつありました。大型店舗や工場も進出しており、景観も変貌を見せています。現在でもカイニョが維持されている家は多くありますが、散居村と農業の関連が薄くなっていることも否めず、景観維持のための取り組みが進められています。

砺波平野といえばチューリップ!

富山でチューリップ栽培を盛んにしたのは、砺波市出身の水野豊造(ぶんぞう)という人物です。20歳のときに花のカタログで目にしたチューリップに心を奪われ、自らも栽培を始めます。当初は切り花を目的としますが、たまたま茎が枯れたあとの球根を植えたとき、より立派に成長していたことから、球根栽培を思い立ったといいます。水野は鷹栖村(たかのすむら)(現在の砺波市鷹栖)の四谷順三(よつやじゅんぞう)に相談し、球根栽培を始めるに至ります。四谷は農学校の講師であり、穀物検査所検査官として富山県下各地を歩いた人物。水野よりも先にチューリップ球根を取り寄せ、当時少ない技術者としてその栽培を試みていました。

チューリップの父と母

こうして生産が盛んになると、国内外へと販路を拡大し、昭和15(1940)年には40万の球根をアメリカに輸出するまでに。以降も水野は生産者として前線に立ち続け、自らも品種改良に努めました。昭和27(1952)年に水野が発表した「天女の舞」は、日本で初めて育成された新品種でした。水野は「チューリップの父」、水野を指導した四谷は「チューリップの母」といわれ、功績を称えられています。

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・黒部ダムが大電源を生み出すまで
・崩壊を続ける立山カルデラ
・極東の氷河の南限は立山! 国内初の氷河認定とライチョウ
・神秘の光景! 魚津の蜃気楼と雨晴海岸の気嵐
・2000年前に形成された魚津埋没林
・富山の水がおいしいヒミツ
・立山の地下には「何か」がある! 活断層はあるのに地震が少ない理由
・富山湾のホタルイカはなぜ有名?

…など

Part.2 富山を駆ける充実の交通網

・北陸新幹線開業による光と影
・河川敷にある富山きときと空港
・SDGs未来都市に選定 ライトレールが象徴するまちづくり
・伏木港は神戸港に憧れた男の夢
・立山の観光ルートは1つじゃない? 一般開放が待ち遠しい黒部ルート
・マッターホルンの麓町から着想 低速電気バスEMUと宇奈月温泉
・鉄オタ集結地! 富山県は公共交通の宝庫
・V字峡谷を走るトロッコ電車

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Part.3 富山の歴史を深読み!

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・富山県成立までの複雑な歴史/越中の英雄・佐々成政の人物像
・焼け野原と化した富山大空襲/富山の遺跡&古墳は個性派ぞろい
・放生津に存在した亡命政権
・越中の伊能忠敬 射水出身の測量家・石黒信由
・越中の黄金郷 加賀藩極秘の「越中の七かね山」
・北陸近代医療の父・黒川良安
・世界遺産は加賀藩の軍事工場 五箇山でおこなわれた塩硝づくり

…など

Part.4 富山で育まれた文化や産業

・「越中おわら節」はなぜ有名?
・財政難を立て直した富山の売薬
・布教のためのテキストだった 曼荼羅から読み解く立山信仰
・秀吉も称えた伝説の刀工・郷義弘
・売薬商人は危ない橋を渡っていた? 薬の密貿易が生んだ昆布文化
・有名な創業者も多く輩出 富山県民は倹約家で働き者
・ジャポニズムの立役者・林忠正
・アニメの聖地が多い富山県
・瑞泉寺再建から始まった井波彫刻

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