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羽越本線の歴史

羽越本線の建設を待望する声は、1901(明治34)年3月の第15回帝国議会に遡ります。そこで建設決定に至りませんでしたが、1906(明治39)年の帝国議会に提出された「新潟県下新発田(しばた)より山形県下米沢に至る鉄道」が、「新潟県下新発田より村上、山形県下鶴岡・酒田、秋田県下本荘を経て秋田に至る線」として修正可決され、羽越本線(当時は羽越線)が予定線のひとつに加えられました。

その後、新潟・山形・秋田とおよそ県ごとに3区間に分かれて着工。かくして、1912(大正元)年9月に新津〜新発田間が開業。2年後には村上線として村上まで延伸開業。

秋田県内では、羽後亀田(うごかめだ)〜羽後本荘(うごほんじょう)間を内陸とするか海岸線とするかで対立があったものの、1917(大正6)年に前者と決定。そうした中、余目(あまるめ)〜羽後岩谷(うごいわや)間が酒田線・陸羽西線、鼠ケ関(ねずがせき)〜余目間が陸羽西線(りくうさいせん)、羽後岩谷〜秋田間が羽越北線(うえつほくせん)として建設され、1924(大正13)年4月20日、新津〜秋田間が全通しました。

羽越本線は日本海縦貫線の一部を担っている

羽越本線は、全国屈指の重要幹線である日本海縦貫線の一部を担っています。日本海縦貫線とは、大阪から青森まで、日本海側の鉄道を1本につないだ路線の総称で、東海道本線、湖西線、北陸本線、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道、信越本線、白新線、羽越本線、奥羽本線で構成されます。青森からはさらに青函トンネル経由で北海道を結んでいます。

貨物列車の大動脈であり、九州から関西、北陸、東北、北海道までを連絡して昼夜問わず多数の列車が運転されています。全線を通して運転する旅客列車はなくなりましたが、1960年代以降、昼行の特急「白鳥」、夜行の特急「日本海」が大阪〜青森間を結び長らく走り続けました。

羽越本線の寝台特急「日本海」と特急「白鳥」

「日本海」は寝台特急として2013(平成25)年1月まで運転されていた名列車です。1947(昭和22)年7月のダイヤ改正で、日本海縦貫急行が大阪〜青森間で運転を開始。1950(昭和25)年11月に「日本海」の愛称をつけられたのがその始まりです。

以後、急行「日本海」は大阪〜新潟間の夜行列車、羽越・奥羽本線内での都市間連絡、北海道連絡と多目的に活躍しましたが、1968(昭和43)年10月改正でこれらの機能は急行「きたぐに」に譲り、「日本海」は20系ブルートレインを使用した寝台特急に変更。昼行の特急「白鳥」とともに日本海縦貫線のスターとなりました

「日本海」はのちに24系客車化され、青函トンネル開通後は函館駅まで延長運転も行うなど大活躍。日本海に沿った走行距離は片道何と約1000㎞。沿線各地の多くの乗客が利用し、最後まで親しまれました。

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・秋田県の地形総論
・火山の痕跡や地殻変動を体感!男鹿半島ぐるり1周ジオ巡り
・世界最大の二重カルデラ湖「十和田湖」はどうやって生まれた?
・地下にかつての雄物川の流路!? 秋田平野が形成の驚きのしくみ
・黒川や雄物川流域に油田続々!秋田ではどうして油が採れる!?
・ブナ林が発達し海成段丘が縁取る 起伏が激しい白神山地の形成史
・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
・新津~秋田を結ぶ日本海側の動脈 寝台特急「日本海」も走った羽越本線
・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
・日本のロケット発祥の地は秋田県の道川海岸だった!
・地熱発電や風力発電などの再生可能エネルギーの導入が加速
・県内各地で伝承されている民俗芸能 国指定重要無形民俗文化財は国内最多!

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