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会津若松の歴史は蒲生氏郷が発展させた!奥州きっての城下町のはどのようにして整備されたのか?

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

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会津若松の歴史は蒲生氏郷が発展させた!奥州きっての城下町のはどのようにして整備されたのか?

会津若松は若松城の城下町として江戸時代に大いに発展しました。
ですが、その繁栄に至るまで、大変な苦労と紆余曲折があったのです。

会津若松の歴史:蒲生氏郷が発展の礎を築いた

福島県の西半分を占める会津盆地は、南北34km、東西13kmの楕円形の構造盆地で、その南東に位置するのが会津若松市です。

室町時代から戦国時代にかけては蘆名(あしな)氏が支配し、その蘆名氏は1589(天正17)年に伊達政宗によって滅ぼされます。翌1590(天正18)年、伊達政宗は豊臣秀吉の小田原征伐に遅参した咎を責められ、旧蘆名領を取り上げられてしまいます。代わりに会津に入ったのが、織田信長の娘婿で「豊臣」姓を賜っていた蒲生氏郷(がもううじさと)です。蒲生氏郷の会津入りは、伊達氏を牽制する意味合いが大きかったのはいうまでもありません。

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