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会津若松の歴史:蒲生氏郷が手掛けた若松城

蒲生氏郷は会津に入る以前には松坂城(三重県松阪市)などを手がけた築城名人であり、会津でもその実力を発揮し、黒川城を7層の天守を持つ若松城へと改築しました。

若松城が別名「鶴ヶ城」と呼ばれるのは、蒲生家の家紋に由来します。蒲生氏郷は城下町を整備し、当地を「黒川」から「若松」へと改称。氏郷の旧領(伊勢)から商人や職人を呼び寄せ、近世会津の礎を築きました。

蒲生氏郷の戦国武将ならではの城構造

蒲生氏郷は若松城の郭内を武家町、郭外を町人町と区分けしました。城内へと続く道はS字のクランクになっており、外敵が大挙して押し寄せることができないような構造をしており、“戦国の城”としての趣を多分に残しています。

会津若松の歴史:新田開発に貢献した「戸ノ口堰」

江戸時代に入り新田開発が進むと、盆地という地理的な条件から、会津若松の城下は水不足に悩まされました。それまで雁堰(かりがねせき)の水を生活用水や水路として用いていましたが、1623(元和9)年に八田野村(はったの)(河沼郡河東町八田野)の内蔵助(くらのすけ)という人が猪苗代湖から水を引いて開墾したいと2代藩主・蒲生忠郷(たださと)(蒲生氏郷の孫)に願い出ました。

これを機に忠郷は水路の開削に着手しますが、作業は難航しました。というのも、会津若松から猪苗代湖までは約31㎞と距離が離れており、総工事距離が長大になったのです。また、猪苗代湖は全国の湖のなかでも標高が高く(湖面標高514m)、会津若松との高低差は300mもありました。水流が激しくならないように、平坦な場所を選んで掘り進める苦労もあったのです。

難局を乗り越え完成した戸ノ口堰

財政難での中断を余儀なくされつつも、藩主が蒲生家から加藤家に代わったあとの1636(寛永13)年、ようやく八田分水まで水を引くことができ、この用水堰は「八田野堰」と命名されました。

そして、1693(元禄6)年の第四期工事により、ようやく若松まで通水でき、このとき堰名を「戸ノ口堰」と改めています。戸ノ口堰から引かれた水は3万石分の水田を潤し、会津の発展に大きく寄与したのでした。

戸ノ口堰のクランク

戸ノ口堰のクランク

城へ向かう道以外にも、クランクが設けられている場所があります。戸ノ口堰の流れの速さを緩めて、水を町全体にいき渡らせるためと考えられています。

戸ノ口堰の流路の概略図

戸ノ口堰の流路の概略図
『ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山』を元に作成

約70年かけて完成した戸ノ口堰。基本的には山の形に沿い、一部山を切り通して水を流しました。一度土砂崩れでふさがりましたが、1835(天保6)年に改修し、より地盤の安定した水路となりました。

会津若松の歴史:保科家の統治によって躍進

加藤家が改易されると、保科正之が会津藩主となりました。3代将軍・家光の異母弟である正之は、幕府の大老として幕政を司ったのち会津でも辣腕(らつわん)を振るいました。

会津松平家の藩主は政治に明るく、3代藩主・正容(まさかた)(保科正之の六男)は領民を疫病から救うために庭園に朝鮮人参を試植。領民に広く栽培方法を伝え、このため会津松平氏庭園は「御薬園(おやくえん)」の名で呼ばれるようになりました。

保科氏は正容の代に松平姓を許され、会津若松は幕末まで会津松平家のお膝元として大きく発展を続けることになります。

会津若松の歴史:保科家の統治によって躍進

江戸時代を代表する山水庭園である御薬園。薬草園が設けられたことからこう呼ばれました。池の水は戸ノ口堰から引いています。

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Part.1:地図で読み解く福島の大地

・阿武隈山地や奥羽山脈が境目!浜通り・中通り・会津の3地域
・いわきで発掘された首長竜化石フタバスズキリュウとは?
・福島市がぽっかり入る福島盆地はどうやってできた?
・福島発展の礎を築いた常磐炭田
・磐梯山の大噴火と裏磐梯・五色沼湖群の形成
・猪苗代湖畔からウニ化石!?劇的な会津の地形の成り立ち
・石川町が日本三大産地のひとつ ペグマタイトとはどんな岩石?
・大改修から100年が経過 暴れ川・阿武隈川の今と昔

などなど福島のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2:福島を駆け抜ける鉄道網

・東北本線旧線の黒磯~白河間には明治時代の面影が残されている!?
・日本最大のC62形SL牽引「ゆうづる」が走った常磐線
・かつては東京と新潟を結ぶ架け橋、会津地方の大幹線・磐越西線
・東京・浅草から特急が直通しトロッコ列車も走る会津鉄道
・かつて硫黄輸送で活躍した猪苗代町の沼尻鉄道とは?
・只見川に架かる数々の鉄橋ほか 魅力いっぱい絶景鉄道・只見線

などなど福島ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3:福島で動いた歴史の瞬間

・人間の歯や骨をペンダントに!?原始福島の不思議な弔い
・東北地方最古の前方後円墳!会津大塚山古墳が示す会津の力
・浜通りに古代製鉄遺跡を発見! なぜ大規模な製鉄が行われた?
・中世史総論(関東武士が進出し国盗り合戦!白河・伊達・蘆名・岩城氏の攻防)
・南北朝時代に南朝が拠点とした幻の寺院城郭・霊山寺とは?
・伊達氏のルーツは福島にあり!奥州制覇を果たす道のり
・相馬地方を約700年統治した古豪・相馬氏とはどんな一族?
・奥州きっての城下町・若松はどのようにして生まれた?
・会津若松城で籠城戦を続けた会津藩が開城に至るまで

などなど、激動の福島の歴史に興味を惹きつける。

Part.4:福島で育まれた産業や文化

・最澄と大論戦した僧・徳一が開祖!慧日寺から始まった会津の仏教文化
・猪苗代湖の水を郡山へ! 幹線延長52㎞の安積疏水事業
・県境には二ツ小屋隧道が残る 福島と米沢を結んだ万世大路
・東北唯一の中央競馬場が福島市につくられたわけ
・幕府直営の半田銀山 明治時代は五代友厚が経営
・感染症と闘い続けた細菌学者・野口英世の生涯
・日本酒の金賞受賞数日本一!福島の地酒はなぜすごい?

などなど福島の発展の歩みをたどる。

ほか、巻頭「空撮グラビア」、テーマ別地図、コラム「データでわかる全59市町村」(人口、所得、農業・漁業)、吉田初三郎が描いた福島県の鳥瞰図 など

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