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近江町市場の歴史を感じる城下町の面影

江戸時代は加賀藩御用達の市場であり、城下町らしい面影が残っています。

かつて金沢には、幕府の討伐に備え、慶長4(1599)年に前田利長が命じて急遽27日間で造られたとされる内惣構(うちそうがまえ)が存在しました。

惣構とは、城を中心とした城下町を囲い込む堀や、堀の城側に土を盛り上げて造った土居などの防御のこと。この惣構は土塁と堀の二重構造となっており、ちょうど近江町市場の場所にありました。

「パーキング口」から「青果通り口」へ通ずる「上通り」側が土塁で、「十間町口」から「市姫神社口」へ通ずる「中通り」側が堀だったようです。

近江町市場にある歴史遺構

惣構の外側が青果市場、内側が魚市場となりましたが、惣構の内側は御膳所(ごぜんどころ)、つまり城の台所とされ、上等な魚は基本的に城で消費されたといわれます。惣構の内外は自由に行き来ができず、番人が立っていたようです。

明治時代に惣構は撤去されましたが、土塁と堀の高低差は市場内の傾斜で感じることができます。スーパー「ダイヤモンド」の精肉部付近は上通りと中通りを結ぶ通路にあたり、ここの傾斜は特に大きいです。

しかし、それが歴史の遺構と気づかず通り過ぎてしまう人も多いでしょう。

近江町市場の近年の歴史

明治時代になると、卸売・仲卸・小売りとさまざまな店が軒を連ねるようになり、「市民の台所」として賑わっていきました。

その後、昭和41(1966)年に開設された金沢市中央卸売市場へ、卸売・仲卸の店が移転。近江町市場は鮮魚、青果、精肉の小売店や飲食品店が中心となりました。

近江町市場の近年の歴史

近江町市場の名称の由来

近江町市場の愛称は「おみちょ」。もともと青果を中心に取り扱っていた場所だったため、「官許金澤青草辻市場」という名称でした。

それでは、近江町という名前はどこからきたのでしょうか。この由来については諸説ありますが、金沢を訪れた近江国(現在の滋賀県)の商人が定住して商いを始めたからという説が有力です。

近江商人は「三方よし」の考え方、つまり「売り手よし、買い手よし、世間よし」をモットーとしていました。商売を通じて人とのつながりや町づくりに貢献するという考えが、近江町市場が長く愛されるにいたった秘訣なのかもしれません。

近江町市場の現在

しかし、2015年に北陸新幹線が開業してからは観光客が増加。近江町市場への来場者もそれまでの約1.6倍にまで増加しました。人が増えて買い物がしづらくなったことや、食べ歩きをする観光客のマナーの悪さを理由に、地元客の足が遠のいたともいわれます。

ですが、関係者たちは市場の在り方について「変わっていないし、これからも変えない」と口をそろえます。

近江町市場の醍醐味と取り組み

威勢のいい掛け声が飛び交う近江町市場の醍醐味は対面販売にあります。

今日は何がおいしいのか、どう調理するのがおすすめか。こういったコミュニケーションにおいて、相手がどんな客であっても地元言葉を貫きます

外国語対応はマナー表示や市場マップのみ。観光パフォーマンス的な値引きもせず、観光地化しないという姿勢を明らかに示します。観光客には食べ歩きの自粛を求めるアナウンスなどで働きかけており、地元客を守るための取り組みも行われています。

観光客を無下にすることもできない市場関係者の複雑な胸中を慮りつつ、足が遠のいているという方は久々に市場へ訪れてみてもいいのではないでしょうか。

近江町市場

住所
石川県金沢市上近江町50
交通
JR金沢駅から北陸鉄道香林坊方面行きバスで5分、武蔵ヶ辻・近江町市場下車すぐ
料金
店舗により異なる

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