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【下北半島の歴史】中生代は海底だった

下北半島でもっとも古い地層は、尻屋崎(しりやざき)周辺で見られる中生代三畳紀(さんじょうき)からジュラ紀(約2億5100万~1億4500万年前)の石灰岩やチャート、泥岩(でいがん)、砂岩(さがん)などの堆積岩です。この地層は、約1億5000万年前頃、海洋プレートの運動によって運ばれた堆積物が大陸に付加したもの(付加体)です。
また、尻屋崎周辺などでは、約2億4000万年前の海山の上部にいた二枚貝の化石をはじめ、サンゴや放散虫(ほうさんちゅう)の化石が見られます。これら中生代の生物の死骸などから、かつてこの地層は浅い海底に堆積したものであることがわかります。

【下北半島の歴史】日本海が誕生し火山活動が活発化

約1700万~1500万年前頃にかけて、ユーラシア大陸の東端の一部だった日本列島が大陸から分離して日本海が誕生し、現在の位置まで移動してきました。その後、東北日本に働いていた力は、均衡がとれた状態になるとともに、火山活動が活発となり近海で巨大な海底火山の噴火が起こります。下北半島の西岸、仏ヶ浦(ほとけがうら)に見られる数多くの巨岩・奇岩は、そのような海底火山の噴出物によってできたものです。
さらに約300万年前、北に移動していたフィリピン海プレートの向きが北西に変わり、東北日本には東西に圧縮する力がはたらくようになりました。その結果、奥羽(おうう)山脈をはじめとする東北日本の大地は急激に隆起し、プレートの沈み込みによってマグマが生成され、火山活動が活発になったのです。

【下北半島の歴史】火山活動や大地の変化から生み出された

約260万年前から現在まで続く地質年代を第四紀といい、この時代に活動していた火山を「第四紀火山」と呼びます。下北半島の中央に位置する恐山は第四紀火山で、火山活動は約130万~約68万年前に外輪山が形成された時期と、現在の宇曽利(うそり)カルデラを中心とする約48万年前以降の大きくふたつの時期にわたっています。

この時期には、ほぼ10万年周期で氷期と間氷期(かんぴょうき)が訪れ、氷期には海水面の下降、間氷期には上昇が繰り返され、海岸線が侵食されました。激しい火山活動や大地の隆起、海水面の変動によって、現在の下北半島の絶景が形づくられていったのです。

下北半島のさまざまな岩石には、大陸の一部だった頃からの日本列島の歴史が刻まれているのです。

下北半島尻屋崎の寒立馬(かんだちめ)

下北半島尻屋崎の寒立馬(かんだちめ)

下北半島の最東端にある東通(ひがしどおり)村では、南部藩の時代から牧場が置かれ、馬産地とされていました。冬の雪や暴風などの厳しい環境の中で、粗食や寒さに耐える耐久力をもつ農耕馬として、明治、大正、昭和時代にわたって受け継がれてきました。寒立馬という名前は、1970(昭和45)年、尻屋小中学校長だった岩佐勉氏が、「東雲(しののめ)に勇みいななく寒立馬筑紫ヶ原の嵐ものかは」と詠んだのが由来。
現在も放牧されており、保護活動により減少していた個体数も増やしています。

下北ジオパークの見どころ

※「ジオパーク」とは、大地や大地を元とした生物・文化・産業なども対象とした保全・教育・地域振興に関わる取り組みです。

下北ジオパークの見どころ①:津鼻崎(つばなざき)

下北半島の北西部、大間町と佐井村の境にある津鼻崎。高さ約10m、長さ約1㎞にわたって続く断崖で見られる柱状節理は、新第三紀中新世(約2300万〜530万年前)のデイサイトの貫入岩で、細く割れるのが特徴のため「材木岩」と呼ばれ、材木のように積み重ねたり、並べたりして活用されてきました。初夏にオレンジ色の花を咲かせるスカシユリの群生地としても知られています。

下北ジオパークの見どころ②:風間浦(かざまうら)

下北半島西部、本州最北の第四紀火山・燧岳(ひうちだけ)の麓に位置する風間浦村。海岸部は、恐山山地の崖が背後に迫り、狭い低地に家々が立ち並び、内陸部の海成段丘面に農地が見られます。海岸部の急な斜面は津軽海峡の最深部まで続き、海岸から漁場までの距離が短いため、キアンコウの絶好の漁場となっています。

下北ジオパークの見どころ③:仏ヶ浦(ほとけがうら)

下北ジオパークの見どころ③:仏ヶ浦(ほとけがうら)

下北地域・西海岸の中央部に位置し、奇岩・巨岩がそそり立つ景観から、国の名勝、天然記念物に指定されています。仏ヶ浦でよく見られる白緑色の凝灰岩は、日本海ができた頃の海底火山から噴出された火山灰が固まったもの。独特の形をした岩には、「如来(にょらい)の首」「蓮華(れんげ)岩」「蓬莱山(ほうらいさん)」といった仏教などに関連した名前がつけられています。

仏ヶ浦

住所
青森県下北郡佐井村長後仏ケ浦
交通
JR大湊線下北駅から下北交通佐井車庫行きバスで2時間15分、終点下車、タクシーで40分
料金
情報なし

下北ジオパークの見どころ④:焼山崎(やけやまざき)

下北半島南西部海岸では、約16 kmにわたり、100mを超える断崖が連続しています。なかでも焼山崎一帯は、落差300~500mの急崖となっていて、ところどころに滝が形成されています。断崖は玄武岩や凝灰岩でできており、赤褐色に変色した岩肌が特徴です。これらの岩石は、日本海が誕生した頃の海底火山の噴出物です。

下北ジオパークの見どころ⑤:脇野沢(わきのさわ)・鯛島(たいじま)

下北ジオパークの見どころ⑤:脇野沢(わきのさわ)・鯛島(たいじま)
鯛島

陸奥湾の湾口部に位置する脇野沢地区。タイの形をした鯛島を含む脇野沢の基盤となっているのは、約800万年前の海底火山の噴火でできた岩石で、鯛島では枕状溶岩や、水冷破砕岩などが見られます。ここは絶えず動く海流の出入口になっており、イワシやタラの好漁場になっています。

下北ジオパークの見どころ⑥:ちぢり浜

むつ市と風間浦村との境界付近に位置する浜で、約300万年前に堆積した軽石質凝灰岩などの地層が、長い時間をかけて波に侵食されてできた地形が見どころ。海食崖付近で波の力によって削られたノッチ(波食窪)や、波食棚上に見られる大きさが1mを超すようなポットホール(甌穴)、ハニカム(蜂の巣)状風化構造など、さまざまな地形を見ることができます。

下北ジオパークの見どころ⑦:尻屋崎(しりやざき)

下北ジオパークの見どころ⑦:尻屋崎(しりやざき)

下北半島の北東に位置し、津軽海峡と太平洋に突き出している岬で海成段丘が発達しています。中生代のサンゴや放散虫の化石を含む石灰岩やチャート、泥岩、砂岩などの堆積岩からなり、褶曲も見られます。かつて海底にあった堆積物が海洋プレートに乗って運ばれ、大陸プレートの下に沈み込めずに付加される際に強い圧力を受けてできました。灯台基部には付加体に貫入した閃緑岩も見られます。

尻屋崎

住所
青森県下北郡東通村尻屋
交通
JR大湊線下北駅から下北交通大畑行きバスで10分、むつバスターミナルで下北交通尻屋崎行きバス(5~10月運行)に乗り換えて1時間、終点下車すぐ
料金
無料

下北ジオパークの見どころ⑧:恐山(おそれざん)

下北ジオパークの見どころ⑧:恐山(おそれざん)

下北半島のほぼ中央、むつ市に位置する恐山は、カルデラ湖である宇曽利山湖とその湖を囲み蓮華八葉に例えられる外輪山の総称です。この山々は火山群であり、カルデラ内北部には剣山、地蔵山などの溶岩円頂丘がある。約2万年前以降マグマを伴う火山活動はありませんが、現在も湖畔で噴気が見られることから活火山とされています。9世紀半ば、慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)によって恐山菩提寺が開かれ、霊場恐山として信仰と祈りの場として伝えられてきました。

霊場恐山

住所
青森県むつ市田名部宇曽利山3-2
交通
JR大湊線下北駅から下北交通恐山行きバスで43分、終点下車すぐ
料金
入山料=大人500円、小人200円/(団体20名以上は大人400円)

下北ジオパークの見どころ⑨:大湊(おおみなと)・芦崎(あしざき)

芦崎には、砂でできた鳥の嘴(くちばし)のような形をした地形・砂嘴が見られます。これは、周辺の釜臥山などから流された土砂などが、陸奥湾の沿岸流によって運ばれて堆積したもの。この地形のおかげで天然の良港となっており、明治時代には海軍大湊水雷団が置かれました。釜臥山(かまふせやま)は、下北半島最高峰で標高878.2m。約80万年前の噴火によって形成された山で、山裾は火山噴出物が堆積して、緩やかな傾斜地となっています。

下北ジオパークの見どころ⑩:中野沢(なかのさわ)

むつ市と横浜町の境である林崎川の河口周辺では、南北約2kmにわたって高さ約20mの海成段丘の段丘崖を見ることができます。この地層は、約100万年前の海底の斜面に堆積した砂層からなっています。この時代は海水面の変動によって、この地層が浅い海から深海へと変わっていったことが、地層中の貝化石、生痕化石、有孔虫化石などからわかっています。この露頭は、陸奥湾を挟んで大湊からも見ることができます。

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Part.1 地図で読み解く青森の大地

・津軽・下北半島が陸奥湾を抱き 県央を貫く奥羽山脈が地形を二分
・火山がもたらした絶景や石灰岩 下北半島に刻まれた列島誕生史
・二重カルデラの十和田湖が生んだ奥入瀬渓流の渓谷美
・津軽富士と称される美しい岩木山は荒々しい火山地形を残す活火山
・古いカルデラの上に形成された八甲田山は火山地形の宝庫!
・東に段丘・西に砂丘・南に扇状地 岩木川がつくった津軽平野
・かつて潟湖だった小川原湖と広大な上北平野ができるまで
・地すべりでブナの原生林が誕生 太古の森が残る白神山地の成り立ち

・・・など

Part.2 青森を駆け抜ける鉄道網

・日本鉄道の駅として明治期に開業 北への玄関となった栄光の青森駅
・E5系・H5系「はやぶさ」が走り延伸を続ける東北・北海道新幹線
・車内で津軽三味線の生演奏!?「リゾートしらかみ」がゆく五能線
・函館への海底トンネルを掘削!?大湊線・大畑線・大間線の大計画
・日本初のステンレス車も活躍する東北最大の私鉄 弘南鉄道がすごい
・黄金の東北本線は新幹線で激変 新時代を走り出した青い森鉄道
・冬は石炭炊きのストーブ列車!ローカル私鉄・津軽鉄道の魅力
・レトロなレールバスがみちのくの原風景を走った幻の南部縦貫鉄道

・・・など

Part.3 青森で動いた歴史の瞬間

・マンモスを追ってきた人類が定着 中央に属さない独自の文化が発展
・豊かな自然のもとで生まれ1万年にわたり続いた縄文文化
・稲作を基盤とする弥生文化と北海道で発達した擦文文化が交錯
・和人の律令国家に取り込まれず蝦夷の地として交易で発展する
・奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ武士たちの激しい抗争の時代へ
・十三湊を制して栄えた安東氏と室町期に台頭した南部氏の争い
・北東北最大勢力の南部氏から独立し弘前藩を築いた津軽氏とは?
・藩境争いに暗殺未遂、戊辰戦争…度重なる津軽と南部の紛争
・戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立し近代化していく
・港町から県都となった青森では町人中心の町づくりが進んでいく

・・・など

Part.4 青森で育まれた産業や文化

・霊媒師イタコが霊場・恐山の象徴的存在となった理由
・諸大名が財を投じて求めた南部駒 青森県の馬産の歴史は古代から!?
・築100年のダムが現役!耐久性の高い青森ヒバ
・岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めたリンゴ栽培
・大間のマグロに陸奥湾のホタテ! 青森県で水産物が豊かな理由とは?
・船上に車両を載せて海を渡る! 青森〜函館をつないだ青函連絡船
・セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌した八戸
・米軍・自衛隊・民間が利用する三沢飛行場は旧海軍航空基地だった

・・・など

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