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伝説あれこれ⑨:白鳥信仰とヤマトタケル伝説(宮城県)

県北の伊豆沼・内沼を中心に、宮城は国内最大級の水鳥の越冬地といわれています。県南の白石川周辺も白鳥の飛来地となっていますが、この地域では、白鳥を神の使いとして崇める白鳥信仰が根付いています。

白鳥信仰とは

蔵王町の刈田嶺神社は、祭神のヤマトタケルが死後に白鳥に生まれ変わったという白鳥伝説の広まりとともに、白鳥明神を祭って白鳥大明神という別号を持つようになり、信仰の中心地になっていきました。

拝殿には、白鳥を画題とした絵馬(額絵)が数多く飾られ、信仰の厚さを物語っています。また神社裏手には、白鳥を浮き彫りにした5つの石碑「白鳥古碑群」が並んでいます。江戸時代に建てられた白鳥の墓碑で、一番古いものは1673(寛文13)年の建立です。かつて、この場所に死んだ白鳥を葬っていたといいます。このほか、村田町、柴田町など県南の多くの地域に白鳥神社が分布し、大河原町の大高山神社にも白鳥信仰の歴史が残っています。

伝説あれこれ⑩:ヤマトタケル伝説(静岡県)

『古事記』や『日本書紀』には、県内のさまざまな地名の由来として、ヤマトタケルの伝承が記載されています。

景行40年(西暦110年とされる)のこと、ヤマトタケルは父である第12代景行天皇の命令で東国の蝦夷(えぞ)討伐に向かいました。その途中、逆賊に騙されて草むらの中で四方に火を放たれ焼き殺されそうになりますが、身に着けていた剣で草を薙ぎ払い、敵を破ることができたといいます。

ヤマトタケルが無事に難を逃れた地を「草薙(くさなぎ)」といい、この時使用した剣は敵を打ち払う神剣として草薙剣と呼ばれるようになったと伝えられています。

伝説あれこれ⑪:阿蘇創造のものがたり(熊本県)

阿蘇カルデラの内側には広々とした平原が広がり、鉄道や国道も整備され、実に4万人もの人々が農業や酪農で生活を営んでいます。こうした例は世界でも極めて珍しいのです。

実は、この阿蘇カルデラにも、かつては湖がありました。それが消失して草原化したのは、海面上昇で大陸と切り離された日本がようやく現在の形になった、約1万2000年前の縄文時代初期のこととされています。

阿蘇カルデラに残る「健磐龍命(たけいわたつのみこと)蹴裂(けさき)伝説」とは

実は、この阿蘇カルデラにも、かつては湖がありました。それが消失して草原化したのは、海面上昇で大陸と切り離された日本がようやく現在の形になった、約1万2000年前の縄文時代初期のこととされています。その阿蘇では、古来より次のような伝説が語り継がれています。

その昔、阿蘇の火口原に水がたまり、大きな湖になっていた頃のこと。健磐龍命(たけいわたつのみこと)(阿蘇都彦命(あそつひこのみこと)とも)は、満々と水をたたえた阿蘇谷を見て、「この湖水を干せば良田となろう」と考え、外輪山を一蹴りしますが、外輪山が二重になっていたため失敗。そこでもう少し南に下って弱そうな所を見つけ、再び蹴りをいれると、山はひとたまりもなくこわれ、湖水がゴウゴウとすさまじい音を立てながら流れ出しました。そこが、立野火口瀬と呼ばれるところで、今も阿蘇谷(中央火口丘北側の火口原)から流れる黒川、南郷谷(同、南側の火口原)から流れる白川がここで合流し、熊本平野を潤しながら有明海へと注いでいます。

また健磐龍命は、外輪山を力任せに蹴った際、勢い余って尻餅をつき、しばらく立ち上がることができず、心配する周囲の人々に「立てんのう!」とつぶやきました。そこで「立野」という地名が生まれたということです。

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