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織田信長の戦略地図② 上洛戦~金ヶ崎撤退戦

上洛を成し遂げ順風満帆の信長が直面した四面楚歌の危機です。

将軍・義昭を擁して京に君臨し諸大名に号令をかける

美濃を平定した信長の下に、越前朝倉家(えちぜんあさくらけ)に流寓(るぐう)していた足利義輝(あしかがよしてる)の弟・義昭(よしあき)から上洛の支援要請が届きます。

信長はこれを受け入れ、永禄11年(1568)9月、北伊勢(いせ)平定後、6万の軍勢を率いて上洛を敢行。近江の六角(ろっかく)氏を蹴散らし、京を支配する三好(みよし)氏を追い、義昭を将軍につけました。

以後信長は、将軍の権威を後ろ盾(だて)として諸大名に号令をかけるようになります。三好勢の松永久秀(まつながひさひで)も信長に降り、順風満帆(まんぱん)の信長でしたが、間もなく危機に直面します。信長への不満を強める義昭の画策によって、諸大名の信長包囲網が形成されたのでした。

上洛した信長が直面した浅井の裏切りと信長包囲網

足利義昭を奉じて上洛を果たした信長でしたが、ほどなく義昭との間に不和が生じ、信長包囲網が形成されてしまいます。さらに妹婿の浅井長政が信長を裏切り、本願寺も参戦。八方ふさがりとなった信長は、比叡山を標的に定めました。

比叡山焼き討ちにより包囲網に風穴を開ける

信長はまず上洛命令に従わない越前の朝倉義景(よしかげ)を攻めますが、その最中、義弟の近江(おうみ)・浅井長政(あざいながまさ)に裏切られてしまいます。浅井、朝倉に挟撃(きょうげき)される形となった信長は、間一髪で尾張に逃げ帰りました。体勢を立て直した信長は、姉川(あねがわ)の戦いで浅井・朝倉連合軍を破りますが、三好の残党に加え、本願寺(ほんがんじ)、甲斐の武田も反信長の旗色を鮮明にし、信長は八方ふさがりになってしまいます。

そこで信長は突破口を開くべく大胆な行動に出ます。浅井・朝倉を匿(かくま)った比叡山を焼き討ちにしたのです。勢いに乗った織田軍は、包囲網を各個撃破し、天正元年(1573)に義昭を追放、室町幕府を滅亡させるに至りました

戦国の豆知識:織田信長の上洛戦~金ヶ崎撤退戦

織田信長は上洛に際して足利義昭が高い地位で報いようとしたところ、これを辞退し、代わりに堺の領有を望みました。信長は永禄11年(1568)10月、堺に対して、2万貫の矢銭(軍用金)を要求し、信長の支配下に入ることを求めました。

織田信長の戦略地図③ 元亀争乱〜本能寺の変

足利義昭による包囲網を食い破り、天下統一へあと一歩と迫ります!

信長包囲網を各個撃破し息を吹き返す

織田信長は、比叡山(ひえいざん)を焼き討ちにした後、武田信玄が敵に回り信長包囲網に参加するという危機に直面します。信玄の西上に合わせて将軍・義昭、朝倉、浅井、本願寺、三好なども一斉に反撃に転じ、信長最大の危機かと思われました。

ところがその途上、信玄が陣没。信長にとってまたとない僥倖(ぎょうこう)で、これで息を吹き返した信長は信玄の上洛に呼応して蜂起していた義昭を追放して室町幕府を滅ぼし、浅井・朝倉も討って、包囲網を崩壊させたのです。

畿内統一で加速する天下統一事業

畿内を安定させた信長は、北陸攻略に柴田勝家を当て、中国方面には羽柴秀吉を派遣。天下統一を視界に収め始めます。

11年にわたる戦いの末本願寺を降す

危機を脱した信長は天正3年(1575)、三河長篠(ながしの)・設楽原(したらがはら)の戦いにて武田勝頼(かつより)を撃破すると、北陸に柴田勝家(しばたかついえ)、中国方面に羽柴秀吉を派遣し、複数軍団による多方面作戦を展開しました

本願寺との石山(いしやま)合戦では各地の一向一揆を各個撃破しながら本願寺を圧迫し、天正8年(1580)に苦闘11年の末、降伏させました。

さらに天正10年(1582)2月には、木曾義昌(きそよしまさ)の寝返りに乗じて信濃・甲斐(かい)へ侵攻します。すでに弱体化していた武田氏は、織田の大軍の敵ではありませんでした。武田勝頼は天目山麓(てんもくさんろく)の田野(たの)にて自害し、武田家は滅亡。信長の勢力圏は関東に達しました。

こうして他を圧倒する存在となった信長は、いよいよ天下統一を目前にしますが、6月、本能寺(ほんのうじ)の変を迎えます。

戦国の豆知識:元亀争乱〜本能寺の変

織田信長は天正4年(1576)に新たな拠点として安土城を築き始めます。地上6階地下1階の高層建築「天主」を持つ天下人の象徴となる城でした。

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『地図でスッと頭に入る戦国時代』見どころ

【〝北条早雲〟の伊豆制圧―1493年】
地図:北条早雲の台頭を許した関東の情勢(北条早雲の関東進出の戦略がわかる)
【鉄砲伝来―1543年】
地図:火縄銃の波及(種子島に伝来した新兵器が多方面に広まっていく様がわかる)
【三好政権―1549年】
地図:三好政権の支配地(信長以前の畿内を支配した政権のしくみと失敗の構造がわかる)
【キリスト教伝来―1549年】
地図:イエズス会の布教体制(教区)(カトリックの布教体制とキリシタン大名の関係がわかる)
【桶狭間の戦い―1560年】
地図:合戦後の東海情勢(義元没後に起こった今川家崩壊の過程がわかる)
【第4回川中島の戦い―1561年】
地図:疑問だらけの大会戦(川中島の戦いに関する通説のウソがわかる)
【堺の降伏―1569年】
地図:堺の硝石と金(信長が畿内進出後真っ先に堺を押さえた理由がわかる)
【長篠の戦い―1575年】
地図:長篠の戦い戦況図(武田軍を鉄砲の前へ誘き寄せた信長の高度な戦術がわかる)
【大坂の夏の陣―1615年】
地図:徳川軍の進軍経路と大坂の陣(なぜ大坂城の南側が戦場となったのか?がわかる)

『地図でスッと頭に入る戦国時代』監修者

小和田哲男(おわだてつお)
1944年、静岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。現在、
静岡大学名誉教授。(公益財団法人)日本城郭協会理事長。専門は日本中世史。著書に
『家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで』(NHK 出版)、『戦国武将の生き方死に
ざま』(新人物往来社)、『明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉』(ミネルヴァ書房)
など多数。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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