南方熊楠が守った国の天然記念物「神島」の自然~世紀の鬼才といわれた博物学者
和歌山県が生んだ博物学の巨匠・南方熊楠(みなかたくまぐす)は、地域の自然保護にも力を注いだ、「エコロジー活動」の先駆け的存在でした。...
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和歌山県が生んだ博物学の巨匠・南方熊楠(みなかたくまぐす)は、地域の自然保護にも力を注いだ、「エコロジー活動」の先駆け的存在でした。...
戦国大名の藤堂高虎は主君をたびたび変えて出世していきます。最後の主君である家康からは全幅の信頼を得て、幕末まで続く津藩の礎を築きました。...
伊勢・伊賀も巻き込んだ、古代最大の戦といわれる壬申の乱。敗死したとされる大友皇子の母は、伊賀国の出身でした。大友皇子のその後を考察します。...
平安時代中期、藤原純友(ふじわらのすみとも)が伊予国(いよのくに)で反乱を起こしました。朝廷から瀬戸内海の海賊を討伐する任を受けて伊予国に出向いた藤原純友に、何があったのでしょうか。...
第二次大戦中にリトアニアの日本領事館に駐在し、ユダヤ人難民約6000人を救った外交官・杉原千畝(すぎはらちうね)。彼の出生地は岐阜県ですが、詳細には諸説あるといいます。...
かつては地味な湯治場だった別府温泉を日本一の温泉観光地にしたのは、あるひとりの男の先見的なアイデアと類まれなバイタリティーでした。...
長浜市虎姫(とらひめ)地区には、田川の氾濫を防ぐために作られた「田川カルバート」があります。「川と川が立体交差」するこの場所の工夫とは?...
海運業で成功し、三菱(みつびし)グループの基礎を築いた岩崎彌太郎(いわさきやたろう)。地下浪人(じげろうにん)という下級武士の身分から、「東洋の海上王」と呼ばれるまでになった、人生を振り返ります。...
植物学者・牧野富太郎(まきのとみたろう)博士。1500種以上の植物を命名するなど、日本の植物分類学の発展に貢献した高知県出身の人物です。...
坂本龍馬は、新時代を切り開いた明治維新の立役者です。土佐(とさ)藩を出て東奔西走した龍馬の活躍と、幕末動乱期の土佐藩の軌跡をひもときます。...
漁の最中に遭難し、アメリカの捕鯨船に救助された万次郎(まんじろう)。帰国後に彼がもたらしたアメリカ本土の技術や思想は、開国前後の日本に大きな影響を与えました。...
本能寺の変より30余年前、山口でも謀反が発生しました。討たれたのは大内義隆(おおうちよしたか)、討ったのは大内義隆に重用されていた陶隆房(すえたかふさ)(後の陶晴賢(はるかた))です。...
宮本武蔵(みやもとむさし)と佐々木小次郎(ささきこじろう)の決闘の地・巌流島(がんりゅうじま)。さまざまな時代劇にも登場するストーリーですが、実はそのほとんどが謎に包まれたままです。...
多くの維新志士や明治時代を支える偉人を輩出した長州(ちょうしゅう)藩。攘夷の決行や二度の長州征討を切り抜け、明治維新を成し遂げたその歩みをひもときます。...
掛川(かけがわ)5万9000石の領主だった山内一豊(やまうちかつとよ)は、関ヶ原(せきがはら)の合戦後領地を加増され、土佐(とさ)一国を与えられます。広い土佐を、どのように支配したのでしょうか?...
「をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり」という冒頭文で知られる『土佐日記(とさにっき)』。著者の紀貫之(きのつらゆき)は、土佐国(とさのくに)で何をしていたのでしょうか?...
虎退治で知られる加藤清正は、熊本の人々にとって、今でも心の大きな支えとなっています。加藤家の菩提寺・本妙寺で行われる頓写会(とんしゃえ)とは?...
豊臣秀吉の九州統一で、九州の戦国時代は終焉を迎えました。その歴史の転換期、日本中が混乱する中で熊本ではいったい何が起きたのでしょうか?...
戦国時代、豊後(ぶんご)・筑後(ちくご)・豊前(ぶせん)・肥前(ひぜん)・肥後(ひご)・筑前(ちくぜん)の6ヶ国を領有し、支配した守護職・大友氏の、血を血で洗う骨肉相食む争いの行方は⁉...