長野の城~戦国・室町時代の武将の拠点となった名城紹介~
長野県域の中世城郭の多くは、室町・戦国時代に築城(改修)されました。深志城(松本市)、海津城(長野市)など、甲斐の武田晴信(信玄)が信濃支配の拠点的城郭として築城・改修したものも多くあります。...
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長野県域の中世城郭の多くは、室町・戦国時代に築城(改修)されました。深志城(松本市)、海津城(長野市)など、甲斐の武田晴信(信玄)が信濃支配の拠点的城郭として築城・改修したものも多くあります。...
全国のほかの城と同様、明治維新の直後に松本城は取り壊しが決まっていました。しかし、解体の危機を救ったのは、松本の市民たちでした。...
善光寺の本尊は日本最古の仏像で絶対秘仏とされていますが、戦国乱世に翻弄され、各地を流転しています。その軌跡を追っていきましょう。...
京都と奈良を結ぶ近鉄京都線には、建設の際に計画変更を余儀なくされた区間がありました。 その名残は、今でも鉄道遺産として見ることができます。...
松林の砂浜が細長い橋のように一直線に延び、外海と内海を隔てる天橋立。 あの絶景はどのようにつくられたのでしょうか。 地質から誕生の秘密に迫ります。...
「山陰ジオパーク」の東端に位置する丹後半島の海岸には、砂浜や海食洞、断崖絶壁など変化に富んだ地形が多くあります。 そのなかから特徴的なものを紹介しましょう。...
京都市の中心部と周辺部を区分する「洛中」「洛外」という呼び名。 その境界を明確にするため、豊臣秀吉によって「おどい」は築かれました。...
明治維新によって京都の人口は半減し、衰退が危ぶまれました。 この危機を脱するべく近代化事業がはじまり、発案されたのが琵琶湖疏水(びわこそすい)の開削でした。...
794年に平安京が造営されて以来、皇居が移されるまで京都は天皇のお膝元であり続けました。 じつは平安京の前にも、2度の仮遷都が行われていたのです。...
高い技術で古代京都の農地開発に貢献した豪族・秦氏。 絹生産や大々的な治水事業で隆盛を誇った一族の足跡は、今もそこかしこで見ることができます。...
古代の丹後地方では、多くの古墳が造営されました。 とりわけ大きいのが「日本海三大古墳」と呼ばれるものです。 どんな人々が埋葬されたのでしょうか。...
京都駅を出ると、まず目に飛び込んでくる京都タワー。 夜になると「仏壇のロウソクに見える」といわれるこの塔には、意外な誕生秘話がありました。...
古都の趣を感じられる祇園は、茶屋や料亭が並ぶ人気のスポットです。 しかし、現在の形になってから、まだ100年程度しか経っていないという事実があります。...
石上神宮の信仰の対象は、もともと神社拝殿の奥に御神体を埋めた禁足地でした。 本殿は明治期に行われた禁足地調査で出土した神剣を祭るために建立しました。...
廃仏毀釈運動で寺の建造物や仏像の破壊が横行していた頃、フェノロサは夢殿に眠る秘仏の200年ぶりの公開を実現させ、仏教美術のすばらしさを日本人に示しました。...
平城京の条坊制の区画が残る奈良町。 そのなかの元興寺の衰退とともに境内に人が住み始め、周囲は商いの町へ。 曲がった道は寺の遺構を避けて通したことによります。...
文禄の役の最中にもかかわらず催された吉野の花見は、京都・醍醐の花見より大規模で豪華な顔触れがそろい、戦国コスプレパーティーで大いに盛り上がりました。...
正倉院の宝物、蘭奢待は名香と誉れ高い香木で特別な権力者しか手にできませんでした。 織田信長は異例の速さで切り取りが許可され、香片は天皇に献上されました。...
春日山の木々が一斉に枯れるという不思議な現象が起こり、中世の人々は春日大神の祟りと恐れました。 そこには自然現象を利用した興福寺の策略がありました。...
現存する世界最古の木造建築群として知られる法隆寺。 長年にわたる発掘調査と科学分析によって、約1300年前の建立の謎が少しずつ明らかになってきました。...